松江市は「職人商店街」でサスティナブルな賑わいを取り戻す~25歳から市長を目指した松江市長・上定昭仁さんの原点とは~
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松江市は「職人商店街」でサスティナブルな賑わいを取り戻す~25歳から市長を目指した松江市長・上定昭仁さんの原点とは~

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公民共創の出発点、それは行政の最前線に立つ首長が感じるイシュー(解決すべき課題)。「公民共創イシューファインダー」は、ビジネスの最前線で活躍する“イシューファインダー”が聞き役となって自治体の課題に肉薄し、その解決を図る事業の起点をつくることをめざしています。3回目のゲストは、松江市長の上定昭仁さんです。上定市長は生まれ育った松江や日本を「外」から見る中で、その大きな魅力に気付きました。松江に息づくお互いを思いやる心や、歴史・伝統・文化・IT産業などに磨きをかけ、中心市街地の商店街をイノベーティブな交流の場にすることを目指しています。(文/QUMZINE編集部、永井公成)

「外」から見て、魅力に気付く

伊藤:上定市長、はじめまして。本インタビューのモデレーターを務めます、フィラメントCIF(Chief Issue Finder)の伊藤羊一と申します。今日はフィラメントの角勝CEOとご一緒します。

上定市長は松江で生まれ育ったとお聞きしていますが、学生の頃はどんな将来を描いていましたか。

上定:小学6年生のときに、バレーボールの島根県大会で優勝して初めて東京に行ったのですが、テレビの中の東京が「実在」することに大きな刺激を受けました。高校生のときには、「都会で身を立てる」と決めていて、将来地元に残ることは考えていませんでしたが、親からは、地元の島根大学に進学すれば「車を買っちゃあで」と言われていましたね。

角:よく言われるやつだ(笑)。

上定:中学生のときに、世の中に貢献する公共性の高い仕事がしたいと思って、裁判官を志すようになりました。難しい社会課題に立ち向かう裁判官が、私にとってはヒーローだったんです。そのために司法試験の合格者を多く輩出する大学に行きたいから進学校に進む、高校では文系クラスで法学部を目指す、というところまであらかじめ固まっていました。つまり、一点の迷いもなく松江を離れると決めていましたね。

伊藤:「公共性の高い仕事をしたい」という少年時代の上定さんの思いが、生まれ育った故郷の市長というお仕事につながっているのではないかと思いましたが、いかがですか。

上定:その通りですね。高校時代に恩師から「松江は良いところ」と聞かされたのですが、正直ピンと来ませんでした。卒業後、福岡市にある九州大学に進学しましたが、出身地を聞かれて、全国的にマイナーな「島根」と答えるのが気恥ずかしいという思いがありましたね。ただ同時に、初めて故郷を離れて生活してみて、とても「温かなまち」に暮らしていたことを実感しました。松江には、知らない人とも挨拶を交わす、お互いに助け合う風土や、他人を思いやる穏やかな気質があります。かけがえのない恵まれた環境で育ったなあ、家族だけでなく近所や地域の皆さんに育ててもらったなあとしみじみ感じました。
都会で新しいことを吸収したいという思いは持ち続けていましたが、加えて、将来故郷の役に立てると良いな、そのために研鑽を積まねば!という気持ちが徐々に芽生え始めました。そうした展望を抱きながら、司法試験の勉強に励んでいましたね。

伊藤:なるほど。故郷の良さに気付いたんですね。

上定:そうですね。正確に言えば、「故郷のことを知らないこと」に気付きました。当時、九州大学の学生の8割は九州内の出身で、入学当初、クラスメートやサークルの仲間から「島根ってどんなところ?」としょっちゅう聞かれるのですが、うまく答えられなかったんです。
九州の名所旧跡、たとえば熊本城、太宰府天満宮、湯布院温泉などを巡るたびに、島根にも似たような場所、たとえば松江城、出雲大社、玉造温泉があるなあと思うのですが、考えてみるとどこも実際に訪れたことがありません。それを友人に話したら「じゃあ行ってみよう!」ということになり、早速車で出掛けました。そのときに初めて訪れて感じた、出雲大社の壮麗な澄んだ空気感、宍道湖の情景の眩さ・美しさ、凛とした松江城の「格好の良い」佇まいは、今でも鮮明に覚えています。一緒に行った大学の友人が「すごいね!松江。見所満載だね」と褒めてくれるんですね。それを聞いて、私は「そうでしょう。松江に良いものいっぱいあるんだよね」と応じるのですが、そのときに初めて気付いているんですね(笑)。

伊藤:「外」から見て気付くわけですね。

上定:はい。インターネットもない時代でしたが、松江のちょっとしたニュースがテレビで取り上げられると興味津々で調べたり、故郷のことをもっと知りたいと思うようになりました。
一方で、松江という「ミクロ」のことを考えるに当たって、近視眼的にならず「マクロ」の全体観を持っておくことも重要だと思ったんですね。大学生のときに初めて海外を旅行し、米国の近未来的な都市やアジアの貧しい生活環境などを目の当たりにして、「井の中の蛙」であることを自覚しました。全国のこと、世界のことを判ったうえで、いつか故郷・松江に貢献したいと考えていました。

伊藤:なるほど。

上定:そして、大学3年生のときに、日本開発銀行(現:日本政策投資銀行/DBJ)の存在を知りました。当時はなかった言葉ですが「グローカル」を追求する組織で、海外の先進的な事業やアイデアを吸収して、わが国の地方が直面する課題の解決を目指す仕事に、「これだ!」と思いましたね。

伊藤:なるほど。上定市長はDBJに入られてから、シンガポールに4年間駐在されて、一昨年まではDBJアメリカス(ニューヨーク)のCEO(最高経営責任者)も歴任されています。海外から見た日本には、どんな印象を持っていますか?

上定: 32歳のときに希望が叶ってシンガポールに赴任し、北は韓国、香港、台湾から東南アジア全域、南は豪州、ニュージーランドまで足を伸ばして、インド、アラブ首長国連邦(UAE)もカバーしていました。当時、世界のガントリークレーンの3分の1はUAEに集まっていると言われ、インドは自動車メーカーをはじめとする日本企業との連携が進み、世界から注目を集めていました。
海外に暮らせば海外のことが判るのはその通りなんですが、意外に日本のことを知る機会が多いんですね。たとえば、シンガポール人の友人と「桃の節句」「端午の節句」について話していたら「なぜ男・女で分けるの?」と聞かれたり、仕事相手の欧米人から日本の政治課題や国際貢献の在り方を問われたりと、むしろ海外から日本を客観的に捉えて、文化や風習や政治について考えさせられることがたくさんありました。生まれ育った松江のことを「灯台下暗し」で知らなかったのと全く同じでしたね。

角:なるほど。

25歳のとき松江市長になると決める

伊藤:「外」から松江をご覧になった上定さんが、市長として戻ってこられたわけですね。何がきっかけで市長になられたのでしょうか。

上定:25歳のときに「松江市長になる」と自分の中で決めました。

伊藤:そんなに早くに?

上定:そうなんです。DBJに入って2年目の1996年に福岡支店に転勤して、いわゆる第三セクターを数多く担当していました。政府系機関であるDBJの特性上、民間企業と地方自治体が一緒に手掛けるプロジェクトにおいて、旗振り役や調整役を担っていました。当時、九州は「テーマパークアイランド」と言われていて、長崎のハウステンボス、宮崎のシーガイア、北九州のスペースワールドなどのプロジェクトに、DBJや伊藤さんが在籍されていた日本興業銀行が関わっていましたが、業況が低迷する中どう収拾を図るかという局面だったので結構苦労しました。

角:テーマパーク、たくさんありましたね。

上定:私は福岡県大牟田市のテーマパークや、博多湾岸に立地する商業施設を担当していました。うまくいかない第三セクターによるプロジェクトの特徴として、官民の役割分担が曖昧、責任の所在が不明確といった点が挙げられます。行政からすれば「経営はノウハウのある民間でお願いします」と言いたいのですが、民間にしてみると「公共的な事業なのだから行政が主導すべき」となります。DBJはその間に入るわけですが、官民の連携の在り方について考えさせられました。
民間企業は当然、儲け・収益を追求します。儲けのあるところに「サステナビリティ(持続可能性)」が生まれます。福岡には地場の大企業で構成する連合体があって、まちづくり事業を営んで地域経済を牽引しています。地域が潤うサイクルを、民間企業が音頭を取って回すことができるんですね。
翻って、上場企業も多くない、少子高齢化・人口減少の進む故郷・松江に置き換えて考えたとき、地域経済の活性化につながる仕組みを創るのに行政が果たすべき役割が大きいとの認識に至りました。生まれ育った松江が将来にわたって持続可能なまちとなるためには、行政が先頭に立って取り組んでいかなければならない、そのトップとして重い職責を果たせる力量や経営センスを身に着けられるよう研鑽を積んでいきたい、と目標を定めました。それが25歳のときで、当時上司であった課長に、「将来松江市長になりたい。そのためにまず政策立案過程を学びたいので、中央省庁に出向させて欲しい」と伝えました。その上司は「若造の戯言」に真剣に向き合ってくれて、「分かったが、市長はなりたいと思ってなれる職業ではない。周りから『上定しかいない』と言われる人物になれ!」と叱咤激励してくれました。

角:いいこと言うなあ、その人。

上定:その後、必要な知識や技量を修得すべくキャリアを重ねて、市長に立候補する直前は、ニューヨークでDBJ米州法人のCEO(最高経営責任者)の任にあったのですが、退職することで長い間お世話になったDBJに迷惑をかけるのを心苦しく感じていました。とは言え、DBJの社長に伝えなければなりません。ニューヨークからリモートでつないで、「DBJを辞めて出馬したい」と話したんですね。そうしたら、社長から「昔からお前の目標だったからな。必ず夢を叶えてこい!」と送り出してくれました。人生の巡り合わせで、社長は私が25歳のときの福岡支店の上司だったんですよ。

角:すごい話ですね、これ。びっくりした。

「癒しの松江」を、まずは市民から

伊藤:この1年、松江市長として行政を担われてみて、いかがでしたか?

上定:松江は「伸びしろ」に溢れていると思います。コロナ禍においてリモート環境が普及してきたことも含めて、「時代が松江に追い付いてきた」のではないでしょうか。高度成長期には、全国の地方都市がこぞって「都会化」を図ろうとしました。その中で、松江には高層ビルも建たず新幹線も通らず、思うように実現することができなかった。でも今となっては、そのおかげで古いまちなみが守られ、お互いを思いやる心や穏やかな気質が残り、地域のまとまりや団結力が維持されているのではないかと思うんです。
昨年4月、私が市長に就任する少し前に、市内で大きな火災がありました。海辺の強風に煽られ火が瞬く間に広まって、22棟が全焼した痛ましい火災でした。しかしながら、一人の尊い命も失われることはありませんでした。それは単なる偶然ではないんです。被災された方に直接お話しを伺ったんですが、現場に住む中学生の娘さんが、出火したとき一人で自宅にいらしたんです。その時間帯に一人で過ごしていると知る近所の方が、機転を利かせて電話され「火の手は見えないだろうけど、すぐ逃げなさい」と促して、そのお嬢さんは避難されたんです。その数時間後に自宅は全焼しました。普段から地域の関わりがあるからこそなせることです。
おそらく、昔は東京でもそれができていたと思うんです。ところが、自動化やIT化の進展によって社会が便利になって人同士が直接交流しなくてもよくなり、コンビニができて隣家に醤油を借りに行くこともなくなる中で、失っているものもたくさんあるのではないでしょうか。幸いにもまだ松江にはそれが残っている。これまで自動化やIT化が豊かな社会生活を導くと思われてきましたが、東日本大震災やコロナ禍を経て、家族の大切さや心を通わせる意義が再認識されています。
松江に根付いている古き良き風土やまちなみに磨きをかけるとともに、SDGsやデジタル化など新しい時代の「潮流」を掛け合わせることで、新たな価値や魅力を生み出せると思うんですね。先人から引き継いできた歴史・文化・伝統などを起点として、無限の可能性を追求していきたいと思っています。

伊藤:本インタビューを実施するにあたって、上定市長には事前に「民間企業との連携によって解決が期待される課題」について、アンケートにお答えいただいています。「①人、②お金、③魅力、④効率、⑤考え方、⑥その他」という6つの課題分類の中から、市長は「①人:若者の人口流出」、「②お金:外部からお金が入ってこない」、「③魅力:魅力を発掘することが下手」を選択されました。先ほどおっしゃった「人のつながりを大事にする松江」になるために、この3つの課題の解決が必要になってくるわけですね。

上定:そうですね。今、地方都市にとっては、人口を減らさない、企業立地を促して地域経済を保つ、ということが喫緊の課題になっています。短期的にその解決を図ろうとすれば、UIターン者や誘致企業に対する助成金・補助金を積んで、充実した税制優遇制度を設ければ良いという発想になります。予算が青天井ならそれも可能ですが、結局その場凌ぎの対処療法となってしまいがちで、サスティナブル(持続可能)とはなりません。
根本的な解決のために必要なのは、今、ここに住んでいる人が心豊かに過ごせているという実感だと思うんです。暮らしている人が不満を持つ場所に、別のところに住む人がわざわざ訪ねて来るはずがありません。松江市民の皆さんが、ここに居続けたい、家族と共に暮らしたいと感じられるときに初めて、市外に住む人が「みんなが幸せそうに暮らしている松江を旅行してみようかな」「視察に行ってみようかな」と感じるのではないでしょうか。人が集まる場所には、優秀な人材を求めて企業が立地します。こうした循環が生み出されることが、持続的な発展をもたらすと思うんです。ここに今住む人、在るものを大切にすることからすべてが始まると考えています。
それに加えて、「松江」というワードを聞いたときに、まず思い浮かぶイメージを醸成したいんです。全国の大多数の人は「松江」と聞いても、その場所や情景、評価や印象が思い浮かばないのではないでしょうか。それが一番まずいですね。

角:なるほど。「愛」の反対は「無関心」というような話ですね。

上定:そうなんです。「松江」という土地に住む必然性や訪れる意味・価値を語れるということが、市民にとっても旅行者にとっても、松江の「魅力」を認識することに直結します。松江にしかない、唯一無二の要素やコンテンツは無数にあります。茶の湯、和菓子、出雲そば、しじみ、水の都、松江城、温泉、美肌、縁結びなどなど。それらをつなぎ合わせると、「癒やし」という言葉にたどり着きます。松江に来てゆっくりした穏やかな時間を過ごすことで、心身ともにリフレッシュして健康になっていただく。週末に松江で「充電」して、月曜日から溌剌として仕事に向かう活力を得てもらうわけです。
一方で、「癒やし」が得られる場所である松江に住む人は、そもそも健康なはずですよね。でなければ「癒やしのまち」に説得力はありません。市民の健康診断受診率の向上や予防医療の普及などによって平均寿命や健康寿命を延ばし、「健康に暮らせるまち」を実現すべく取り組みたいと考えています。

角:松江市民が幸せになる、豊かに暮らす、それを実感できることによって、他の地域の人たちも「松江に行けば豊かな時間を過ごせる」と思えるということですね。

「職人商店街」でイノベーティブな中心市街地へ

伊藤:最後に、上定市長から読者の皆さんへメッセージをお願いします。

上定:はい。「古いものに磨きをかけて、新しい価値を生み出す」という観点で、松江市が構想している「職人商店街」についてお話しします。
私が子どもの頃、松江駅前から松江城につながるエリアは、お祭りなどの行事のときだけでなく、普段の生活でも多くの人出で賑わっていました。それが今は「シャッター街」どころか、建物自体が撤去されて駐車場になり「歯抜け」の状態になってしまっています。その賑わいを復活させるため、松江にあるものづくりの文化や、老舗の伝統工芸店・工芸職人をつなぐ「職人商店街」を創造したいと考えています。松江には、漆器、陶器、勾(まが)玉や、お茶、和菓子、出雲そばなど、歴史・伝統に紐付く誇れる財産が多数あります。
昨年、松江の中心市街地に所在する漆器店において、職人さんの作業風景を眺めることができ、絵付けの体験もできるスペースを設けていただきました。「観る」「創る」という2つのエンターテイメントが味わえるわけです。こうした体験を通じて、松江に住む子どもたちが「誇れるまち」を実感することができます。同時に、魅力ある店舗をつなぎ回遊性を高めるための取組みをスタートしていて、新年度の予算で店舗改装資金の補助制度を新設して、「賑わいの再生」に取り組みます。

角:眺めることと体験することで、松江の伝統工芸が身近なものになるんですね。

上定:そうですね。ものづくりを体験して自分で創作した工芸品を持ち帰ってもらい、市民の皆さんには愛着を抱いてもらう。旅行者の方々には、松江のことを思い出して「また行きたいな」という気持ちを持ってもらう、という循環ですね。このサイクルが回り始めたときに、「職人商店街」のサステナビリティが確保できると考えています。
まずは、地元の伝統工芸や現代工芸で商店街をつなげる。そして、既存店舗だけでなく、空き家を利用したテナント店舗や、インキュベーションの拠点となる施設を結びます。さらに、共感の得られる、親和性の高い全国の伝統工芸職人の方々にも声をかけるつもりです。新たな交流が新しい価値を生み出す、イノベーティブな商店街にしていきたいですね。関心がある方には、ぜひ力を貸していただければ幸いです。

角:まさに事前アンケートで選んでいただいた「若者の人口流出」「魅力を発掘するところが下手」という課題の解決には、まちの魅力や魅力的な仕事があるというアピールが必要ですよね。そして、その魅力が重なることで、「外部からお金が入ってこない」という課題の解決にもつながるんでしょうね。

上定:そうですね。課題を表面的に解決するのではなく、その根本に行き付くことによって、中長期的に持続可能な松江のまちづくりを考えていきたいと思います。

伊藤:わかりました。本日はありがとうございました。

【プロフィール】

上定 昭仁(うえさだ・あきひと)
松江市長

平成 7年 3月 九州大学法学部 卒業
平成 7年 4月 日本開発銀行(現:日本政策投資銀行)入行
平成11年 4月 建設省(現:国土交通省)建設大臣官房政策課 係長
平成13年 1月 国土交通省 総合政策局政策課 係長
平成17年 6月 日本政策投資銀行 シンガポール次席駐在員
平成24年 5月 日本政策投資銀行 企業投資グループ 課長
平成29年 4月 日本政策投資銀行 松江事務所長
令和元年 6月 DBJ Americas Inc.(米州法人)CEO(最高経営責任者)
令和 2年12月 日本政策投資銀行 退職
令和 3年 4月  松江市長 就任

伊藤羊一(いとう・よういち)
フィラメント CIF(チーフ・イシュー・ファインダー)
Zホールディングス株式会社 Zアカデミア学長/武蔵野大学アントレプレナーシップ学部 学部長/株式会社ウェイウェイ 代表取締役


東京大学経済学部卒、1990年日本興業銀行入行、企業金融、債券流動化、企業再生支援などに従事。2003年プラスに転じ、ジョインテックスカンパニーにてロジスティクス再編、マーケティング、事業再編・再生などを担当後、執行役員マーケティング本部長、ヴァイスプレジデントを歴任、経営と新規事業開発に携わる。2015年4月ヤフーに転じ、現在Zアカデミア学長、Yahoo!アカデミア学長としてZホールディングス、ヤフーの次世代リーダー開発を行う。またウェイウェイ代表、グロービス経営大学院客員教授としてリーダー開発を行う。若い世代のアントレプレナーシップ醸成のために2021年4月より武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(武蔵野EMC)を開設、学部長に就任。代表作「1分で話せ」は56万部を超えるベストセラーに。その他「0秒で動け」「1行書くだけ日記」「FREE, FLAT, FUN」など。

プレスリリース:フィラメント、伊藤羊一氏がCIF(チーフ・イシュー・ファインダー)に就任

角 勝(すみ・まさる)
フィラメント CEO

新規事業開発支援のスペシャリストとして、上場企業を主要顧客に、前職の大阪市職員時代から培った様々な産業を横断する知見と人脈を武器に、事業アイデア創出から事業化までを一気通貫でサポートしている。オンラインとオフラインを問わず、共創型ワークショップや共創スペースの設計・運用にも実績を有する。経産省の人材育成事業「始動」のメンターも務めるなど、関わった人の「行動の起点をつくる」ことを意識して活動している。CNET JAPANにて「新規事業開発の達人たち」「コロナ禍で生き残るためのテレコラボ戦略」連載中。1972年生まれ。関西学院大学文学部卒。

株式会社フィラメント/Filament Inc.

未来と今を誰もが面白がりながら成長できる社会」の実現をビジョンとして、新規事業創出のための閃きと行動を引き出す伴走型アイディエーションファームです。前職地方公務員時代に多くのオープンイノベーション実績を持つ代表角勝のもとに様々な経歴を持つメンバーが集まり、官民合わせた多彩なネットワークを活用して事業アイデアの展開発展を支援。また、独自のプログラムで新しいアイデアを出し育てる人や組織の環境づくりもサポート。
代表角勝はCNET Japanにコラム連載中。

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