公務員から起業家へ転身!AmbiRise田中寛純さんが起業を考えている公務員に伝えたいこと
フィラメントCEO角勝がCNET Japanで連載している「事業開発の達人たち」シリーズにおいて、札幌市の公務員を辞めて起業した田中寛純さんにお話をうかがいました。田中さんが設立したAmbiRiseでは、行政の情報システム部で学んだノウハウを生かし、行政の請求業務のDXをサポートする「Haratte」を開発、横須賀市で実証実験を行いました。今回はCNET Japanの記事には収まりきらなかった公務員時代のキャリアの積み方、そして起業決断に至るまでを、同じく「ヤメ公務員」としてフィラメントを起業した角勝がお聞きしました。(文/QUMZINE編集部、永井公成)
システム更新のプロジェクトマネジメントが良い経験に
角:田中さんのように、公務員を辞めて起業する人はかなり珍しいですよね。
田中:転職は最近多少見るようになってきたという肌感覚がありますが、起業はなかなかいないです。私が知っているのは角さんぐらいだと思います。
角:そうですよね。だから田中さんのことを知ってすごく驚いたんですよ。公務員時代はどういう経験をされてきたんですか。
田中:公務員は18年ほどしていましたが、最初は区役所の福祉課に3年ほどいました。福祉課で介護保険に関する業務をしたり、身体障害者手帳の交付に関する業務をしていました。
角:僕も公務員時代の最初の任地は大阪市の鶴見区役所、その後は福祉部門に長いこといましたよ。親近感わきました。その次はどちらへ?
田中:情報システム部です。そこに10年ほどいました。メインフレームで運用されていた住民記録や税など、30以上ある業務のシステムの担当をしました。これらのシステムは、稼働から20年くらい経っていて、ちょうど私が異動してきた頃に作り直すという話が出ていました。事業費が約150億円と、なかなか民間でもないような規模のシステム開発プロジェクトになりました。いろいろな地元企業に発注を出すために分割して入札させるようにしているので何十社も関係することになり、それらのプロジェクトマネジメントにいきなり放り込まれました。
角:それは大変そうだ。
田中:何回か死にかけましたけど、ものすごくいい経験となりました。そして、それまではキャリアの終わりまで役所にいるものだと思っていたのですが、その経験をきっかけに「あれ?自分の人生って1本道ではないかもしれないな」と思い始めたんです。
角:大抵は大手のITベンダーが受注して、そのITベンダーがいろんなところに発注して、行政はその統括をするパターンが多いですよね。でも発注段階から分散させると通常だと大手ITベンダが行っている進行管理まで行政が担うことになります。そうするとコミュニケーションコストや管理コストがすごく大変になるし、そのためのノウハウは役所にはないはずなので、死ぬほど大変なんじゃないかなと。
田中:最初は私も含め情報部門の誰もが絶対うまくいかないと思いました。だから情報部門として当時の市長に「無理です」と言っていたんですが、「無理なことはないから、どうやったらできるか考えろ」と言われたんです。だからもうやるしかないですよね。
なので、やる前提でどうやったら無理とも思えることをやりきれるかを必死で考えましたね。システム系の仕事、特に大規模なシステム開発の仕事はは属人化したり、スーパーマンが何人もいないとできないような形になることもあると思うのですが、それは役所の中では難しいので、ある程度のスキルの人でも回せるような仕組みをいれるという考え方をしたんです。
一般的なシステム開発の場合は、会社ごとに工程の順番や、どういうドキュメントをつくるかなど、各社それぞれのやり方があるのですが、それを発注者である札幌市が全部決めてその通り実施するように仕様を作って発注しました。そうすることで我々も、同じドキュメントの中で同じじモノサシを持って評価できるようになります。そうやってスキルがなくてもある程度標準化したかたちで回せるような仕組みを作ることで、マネジメントに必要なスキルレベルを下げたり、そこにかかるコストを減らしたりしました。また、プロジェクトを振り返ってそのノウハウが蓄積するような仕組みもいれました。
また、150億円のプロジェクトをいっぺんにやるのは難しいので、最初は12、3億円ぐらいの住記(住民記録)システムから始めて、次が30億円ぐらいの税と国保(国民健康保険)システムをやり、最後に福祉をやるという3段階にしました。だんだんとハードルの高いものに進めていくことで、前のプロジェクトのノウハウを生かした工夫などを行えるようになり、結果的に、なんとかスケジュール通りに稼働できました。
角:今のお話を聞いていても普通の役人の発想という感じではない気がして、すごいなと思いましたよ。
田中:そうですかね。分からない人から見れば、「システム開発はプログラムができる人がいればいいのでしょ?」と思われがちなですが、大勢の関係者がいる中でのシステム開発は結構マネジメントの要素もあるんですよね。私は専門のスーパーマンというより、そういった面がバランス良くできたので重宝されたのかなと思うところはあります。
角:自信にもつながったんじゃないですか?
田中:そうですね。それに外部の人たちが入ってきて一緒になって仕事をするので、民間企業に出向して働いているような経験となりました。
角:分かります。
田中:150億のプロジェクトなので、1日決定が遅れると沢山の人が待機したり手戻りしたりで、何千万円が飛ぶんです。だからいちいち役所みたいに2週間も意思決定にかけていられないんですよね。「なんかあったら怒られたらいい。俺たちどうせクビにならないんだから決めるぞ!」とその日に決めちゃって、あとで「すみません、課長こうしました」と謝りつつ報告したりとか。
角:なるほど。すごくいい経験されましたね。
田中:そうですね。それがなかったら今でも普通に役人やっていたかもしれないと思います。ターニングポイントになりました。
市のコールセンターをマーケティング的に改善
田中:そのあと2回異動しました。情シスを長くやっていて、違う仕事をちょっとしてみたいというのはあって、そういう希望を出したんですよね。
異動したところは広報部の「市民の声を聞く課」という広聴の部門だったんです。最初はなぜそこへ異動になったのかよくわからなかったのですが、札幌市は自治体初の民間委託のコールセンターを持っていて、最初の頃は全国から視察が訪れるぐらい有名なものだったんです。そのコールセンターの外部委託のマネジメントをしなきゃいけないのと、コールセンターのシステムやネットワークを運用するために、ITを分かる人が必要だったようで。どちらかというと「ITのできる人」ということでここに異動になったということでした。
角:そういう部門って市民の負の感情のはけ口みたいな感じになりがちじゃないですか。
田中:そうですね。原課(担当部署を意味する役所用語)でさんざんこじれた話がきたりとか、場合によっては警察に行ったけど相手にされなかったとか、裁判所で文句言われたとか、果てには病院から追い返されたとかいう人たちからも苦情がくるという「最後の砦」みたいなところはあります。「それは市役所の仕事じゃないですよ」と言っても「国民の生命と財産を守るのがお前らの仕事だろ」みたいな感じに言われて相手しなきゃいけない。
でも問題を解決できるのは原課さんなので、結局は「原課さんに行ってください」ということになります。広聴は原課の仕事に手を突っ込むまではできないので、そこが難しいところです。
あとコールセンターへの問い合わせについては、多く受けたほうが良いように思えるのですが、問い合わせが多いということは市役所が分かりにくい広報をしていることになるので、問い合わせが多いことが必ずしも良い事ではないように思うんです。だからコールセンターの番号が入っている通知物は送付前に原課からサンプルを貰って、全部コールセンターでチェックするような仕組みが入っています。「こういう言葉をいれると問い合わせが増える」とか、それを見てどんな問い合わせがきそうかっていうのを予測しておいて、それをもとにQ&Aを充実させておくとか、プロアクティブに問い合わせをコントロールするようにしています。広聴から市役所の情報発信にフィードバックできる要素もあることが分かったりして、そこは結構マーケティング的なところもあって面白いなと思いました。
角:なるほど。アクションに対しての反応をデジタルでとって、分析して気づきを得ていくってデジタルトランスフォーメーションっぽい感じですよね。
プログラミングを始めコンテストで準優勝
田中:そのあと、忙しさには余裕ができたので、自分で任意団体をつくって自治体の情報化ノウハウの発信をして社外人脈をつくってみたりとか、自分のプレゼンスキルを磨いてみたりしました。それらは「札幌市役所の田中さん」として活動していたのですが、札幌市職員としての肩書きがない時にどんな人が付き合ってくれるんだろうということを確かめたくなりました。そこで、肩書きを伏せた形でオープンデータを使った観光クイズアプリをリリースしてみて、どこまでいけるかやってみようと思ったんですね。
自治体が公開する観光スポットのオープンデータを取り込んで、みんなにそれを題材にしたクイズを投稿してもらう「Korette」というアプリを作りました。人は案外住んでいる町のこと知らないので、投稿している人はそれで町の魅力に気づいてもらえるし、クイズにすることで単に情報を伝えるよりも受け手に興味を持ってもらえます。地域活性だとか観光に繋げることが目的です。そしてこれで東京都のアプリコンテストに応募したら準優勝しちゃって、小池百合子さんと一緒に写真を撮ったりしたんですよね。そのあとも内閣府のRESASアプリコンテストや港区のアプリコンテストで賞をいただいたりとかしました。
角:すごい!
田中:肩書きがなくてもやっていけるかということをテスト的にやっていたという感じですね。その時はまだ辞めると決めていたわけではないのですが、どっちに転んだとしても役に立てることをやってみようという感じでいました。
角:なるほどね。高負荷な仕事をずっとしてきて、ふっと負荷が減ったタイミングで新しいことをいろいろやるのは僕も似た感じでしたね。
田中:何もしないと燃え尽き症候群になっちゃいそうだなというのもありましたし、余裕があったから次のことをやってみようと思えたというのもありますね。
角:なるほど。ちなみにプログラミングのスキルはもともとお持ちだったのですか?
田中:なかったので、独学でプログラミングをして覚えました。9か月ぐらいかかりましたね。
角:すごいな。9か月かけていたらそこまでいけたんですね。
田中:そうですね。Excelのマクロくらいはできていたので基礎はあったんだと思います。ただウェブサービスを作るとなるとJavaScriptとか別の言語を知らないといけないし、インフラ的な設定とか運用も全部分からないとできないので、分からないことは検索で調べながら作っていきました。そして、その経過を、Qiitaで『「中年の危機」ど真ん中のオッサンがWEBサービス作ってみた。』というタイトルで書いていったんですよ。そしたらめっちゃバズって。
角:すごい!
田中:「このオッサンすげえ」みたいな感じになって、肩書きを伏せた形でブログやSNSで発信してブランディングもやったりもしていましたね、実は。
角:なるほどね。外部の人が好意的に反応してくれるのはすごく励みになりますよね。
田中:そうですね。実際にやってみてどうかっていうのは自分の自信にもなりますし、結果的に飛び出した時の資産にもなるところはあるのかなっていうふうに思いますね。
角:なるほど。その次の異動が最後の異動になる感じですかね。
公務員としてのキャリアを考え、退職
田中:そうですね。最後は会計室という部署に異動になりました。
市民の声を聞く課から異動するときに、「頼むからもうシステム系は勘弁してくれ」と言ったんです。
情報部門で昇任して係長になっていて、「市民の声を聞く課」に行った時に昇任から5年目ぐらいだったので、そこからまた情報系の仕事をやると係長職で10年近くになってしまいます。大体札幌市だと昇任して10年で課長になるので、課長になる時に行き先がなくなって上に行けば行くほど異動先に困ることになると思いました。自分は事務職員として採用されていて、情報の専門職員ではなかったので、自分のキャリアを考えたら、例えば経済でスタートアップ支援のようなことや、情報のキャリアを生かすにしてもシステム系じゃなくて情報政策とか官民連携など、違うことを経験したいという思いもありました。
上司も私を評価してくれて、システム系以外の部署への異動に話をつけてくれていました。ですがちょうど会計の部署が行革をしようとしていたんです。区役所の会計部門を集約することを、現場は反対していて長い間現状維持が続いているんだけど、いよいよプやらなきゃいけない。経営層では原課に言ってもできない理由ばかり言うから、変えられそうな人をどんどん送りこんで変えていかないといけないということになっていたようです。
行革は、何もきっかけなしにいきなり行革で人を削減するといった話になるといろいろな面で火種になるので、「システムファーストで業務効率化をして行革をする」というような説明をする必要があります。だから「システムだけじゃなくて行革の調整も含めて両方できるやつが必要だ」ということになったようで、内示が出てみると、私は会計室に異動することになりました。その瞬間に、自分の役所におけるキャリアがぎゅっと狭まったように感じたんです。システムだけじゃないことに期待しての異動ではあったと思いますが、やはりそこはITのプロをと求められていると感じ、そこまで専門性を期待されるのであれば、役所じゃなくて外でプロでやっていくというのも選択肢だと感じました。
また、役所でずっと情報系でやっていくとすると、役所の中でスキルを維持していけるだけの経験を積む機会は限られていますし、年をとっていけばとっていくほどそういう経験を積む機会が減るので、いつまでも自分が今持っているスキルを同じように人の役に立てる状態ではいられないと思ったんです。そこで、「プロとしてやっていくんだったら、スキルを常に現場で積みながら実際に貢献していったほうがいい」と思いました。これが大きく辞める方向に舵をとったタイミングです。会計に2年間いて、行革とシステム再構築をとりまとめ、5か年計画のほうに乗せて予算化するところを意思決定するところまでやり、それを実績にして辞めますというかたちになりました。
角:なるほどね。公務員としてやっていくとなると結果的にかなり上の道が限られてしまうような状態になってしまったと。それならば辞めたほうがいいのではないかという選択肢が見えてきて、ある程度自信がついたり判断できる材料が揃ったところで辞められたということですね。
田中:そうですね。自分のキャリアという視点で見ると結構そういうところはあるなと思っています。
残念ながら役所では情報系のキャリアパスというのは無くて、結果的に先が見えたし、情報系のプロフェッショナルとしてのキャリアの先を見た時に自分がそのスキルを役所のなかで維持し続けるのが難しいと思ったということです。
自治体の情報化という点で考えると、自治体の情報部門の職員って「パソコンできる人」みたいな不遇な扱いをされているところがあります。しかし、そうではない人材をつくっていかないと、情報化はこれ以上進まないんだろうと思ったんです。一方で、そういった人材はシステムの再構築みたいな戦場がないとスキルはたまらないし、そのスキルはずっと戦場にいつづけていないと人材として腐っちゃうところがあるので、役所の中でそれを維持し続けるって難しいなと思ったんですよね。だからもっと自治体の外の人たちが中に入ってきたり、自治体の職員が外でスキルを蓄えてそれを中に持ち込むみたいな、スキルを活かすしスキルを常に維持向上させるようなところを外に求める必要があるんじゃないかと思いました。
角:なるほど。とはいえですよ、公務員を辞めるとなると、かなり大きな決断で、怖かったりとか不安があったりとか、ご家族からの反対があったりもあるんじゃないかなと思うんですけど、そのへんはどうでした?
田中:今でも怖いですし、不安です。昔は辞める覚悟ができたらその怖さは消えるものと思っていました。ですが、実際はそうではなくて、結局「怖さは消えない」ということを覚悟したから辞めたみたいなところはありますね。「怖い」というのをなくそうとしても駄目で、もう選んだ道を正しくするしかないんです。選んだ道を正しくするだけだから、役所にいる自分も正解だし、辞める自分も正解なんです。だったらやらなかったことを後悔するよりは辞めるほうを選んで、あとはまっしぐらに向かうしかないなと思いました。
家族の反対でいうと、妻は結構反対派よりも「いつまでウジウジしているの?。さっさと辞めたら?」というノリでした。市民の声を聞く課も含めていろんなところで活動している時も、ずっとウジウジしている部分はあったんですよね。そういうのを見ていたので「そんなウジウジするんだったら辞めれば?」という感じでした。でも妻もいて当時子どもが2人。「そんな無責任な…」とか言うと、「子どもを理由にするんだったらどうぞ離婚してあげます」ぐらいの勢いでした。
角:いい奥様ですね。
田中:「子どものせいで自分の人生潰すな」と。今までの私を見て、辞めたところでなんとかなると思っていると言ってくれました。
角:やっぱりQiitaの記事で「中年の危機ど真ん中」みたいなことをおっしゃっていたので、多分ご自身でもやっぱりこれからの人生とかをいろいろ考えてモヤモヤもされていたんだろうと思いますし。
田中:そうですね。ずっとなんだかんだで5年ぐらいモヤモヤしていましたかね。
角:でも同じような感じでモヤモヤしている公務員いっぱいいると思うんですよ。
Qiitaを書かれていたりとか外に出られている、あるいは自分でプログラミングされているみたいなところが、結果的にすごく準備になっているなと思いましたけどね。
田中:どうなんですかね。辞めると思って準備していたわけじゃないんですけど、役所の職員として駄目だって言われない範囲でいろいろやってみたらいいやと思ったんですよね。
民間の人だと、例えば起業する前に副業とかサイドビジネスで始めて、大きくなったら辞めれば良いとなるんですけど、公務員だとそれができないじゃないですか。あくまで無償の活動でしかできないので、任意だったりNPOをつくって活動されている方とかもいらっしゃると思うんです。でもお金を稼がないにしても、自分で何かを発信して何かをかたちづくったりとか関係者を巻き込んでいくみたいなところって、中に残っても外に出てもどっちにしても資産になるじゃないですか。それをやっていくと、じゃあ自分はどっちにいけばいいかというところが少しずつクリアになってくる部分があると思います。悩んでいるんだったらいろいろ動いてみればいいのかなと思いますよね。
角:そうなんですよね。水に浸かってみるまでは自分が泳げるかどうかすら分からないですよね。みんな水に浸かったこともないくせに、なんなら海を見たこともないくせに海で泳げるかどうか、泳げないんじゃないかって心配している人が多い気がするんですよ。
でも、海が身近になかったとしても海に似た環境、例えばプールもあるかもしれないですし、川があるかもしれない。そういったところで1回水に浸かってみて、泳ぎの練習をしてみるということをみんなやればいいのになと思うんですよね。
田中:そうですね。特に私がやったプログラミングとかってほとんどコストかからないでできるし、別に札幌にいたって全国に何かしたりできるんですよね。そんな難しいものでもないし、万が一自分で「これぐらいしかできない」ってやってみても意外と評価が高かったりします。とりあえずやって出してみて、そこからいろいろ変わっていく部分やひらけてくる部分があるんじゃないかと思います。
角:素晴らしいお話、ありがとうございました。
田中さんが現在AmbiRiseでどのような事業を行なっているかについては、CNET Japanに掲載されている記事をご覧ください。
【プロフィール】
田中寛純
株式会社AmbiRise
代表取締役CEO兼CTO
1978年、北海道余市町生まれ。
2002年に札幌市役所に入庁。その後、情報システム部門に配属となり住民記録や税といった札幌市基幹系システムの運用を担当、その後、システム再構築のコアメンバーとして総額約150億円規模の再構築事業の計画策定やプロジェクトの全体管理を主導。その後、会計部門でBPR前提の財務会計システム再構築を担当するなど、自治体のIT活用の推進に関わる。
また、職務外活動として、システム再構築のノウハウの執筆・講演活動や、オープンデータを活用したWebアプリの開発も行う。Webアプリは3年連続で国や自治体のコンテストで賞を受賞。
その後、今後の行政のデジタル化には行政内部からだけではなく、ビジネスサイドからのアプローチも必要と考え、2020年3月に18年間勤めた札幌市役所を退職し、同年5月に株式会社AmbiRiseを設立。
2018年 東京都オープンデータアプリコンテスト 優秀賞
2019年 第3回RESASアプリコンテスト 協賛企業賞
2020年 港区オープンデータアプリコンテスト 特別賞
2020年 NoMapsDreamPitch2020 最優秀賞
2020年 X-Texh Inoovation2020 北海道地区企業賞
2021年 日本経済新聞社 スタ★アトピッチJapan 全国大会ファイナリスト
2021年 SMBC三井住友銀行 未来2021 全国大会ファイナリスト