蛯原健 × KiNG × 村上臣(友情出演)× 角勝【緊急鼎談/テクノロジー思考とアート思考】#2/6
昨年立ち上がったLinkedIn(リンクトイン)編集部が主催するミートアップ、「これからの働き方、生き方」を通底のテーマにした、コラボレーション・イベント。 10/16(水)に丸ビル カンファレンススクエアにて、LinkedIn x Filament, inc.のミートアップが開催されました。
目的があれば空間は「圧縮」される!?
角:もうちょっとだけ蛯原さんとKiNGさんを深掘らせてもらっていいですか? さらに雑談っぽく。お二人には「世界」ってどう見えていますか?
蛯原:僕がパッと思いついたのは、世界が小さくなってきているのがすごく実感としてあります。子どもの時っておばあちゃんの家はでかいと思ってたんですけど、大人になってから行くと結構小さいなって思うのと同じ。今は自宅にいるのが1年で半分ぐらいしかなくて、残りの半分はいろんな国へ行ってるので、「世界ってめっちゃ小さい」というのが最近の感想。
角:シンガポールに住んでいると、余計に小さく感じたりする。
蛯原:職業柄もあると思うんですけど、当然テクノロジーの発展とか情報の非対称性がなくなったとかいうことも、全部関係すると思うんです。小さくなった。
角:なるほど。じゃあKiNGさんは?
KiNG:自分の思ってる世界と、人の思っている世界は違いますから。
角:お! いいこと言うなぁ。
KiNG:世界って、時間と空間とのコミットなので。私は基本引きこもりで、制作活動とか思考の中で旅をしているんですよ。
角:でもこの間の台風の時には、千葉に真っ先に行かれて物資を運んだりされてましたよね。
KiNG:あれは目的があったからです。目的があれば自分の中での距離が縮まる。確率論の中で確実性が高まったことに対しては自分のボディを動かす、ポイントができれば物理的な距離は実は関係ない。
角:目的があったり、ここでなんかしたいって意思があった時に、そこはすぐパッと行ける。
KiNG:そう、「圧縮」が起きると思いますよね。
角:言葉のチョイスがいいですよね、やっぱり。
蛯原:いや、天才ですよ。
角:そういう言い方で説明されるんだなぁって感心する。
蛯原:KiNGさんを筆頭にクリエイティブに携わっている方は、言語化能力がすごい方が多い気がするけどなぜなんですかね? 例えば起業家って正直あんまり言語化能力が高くないと思うんですけど...。
村上:そうですね。特に最近は型みたいなのが流通していることもあって。
蛯原:それはありますね。チャーンがどうしたとかLTVがどうしたとか同じような事ばっかりいう起業家が多い、特に日本人は良い意味でも悪い意味でもあっという間に型をお勉強してそれが全員に広まっちゃう。
村上:世界が小さくなったおかげで、みんなベストプラクティスの共有がすごい早くなっているんですよね。
KiNG:チートしやすくなったみたいな。
村上:そう。そんなよく考えてなさそうな人でも考えてるかのようにふるまえるテクノロジーがある。
KiNG:テクノロジーなんですね、それも。
村上:それはテクノロジーなんです。
非線形の言語化としてのリベラルアーツ
蛯原:僕はクリエイティブの方とあんまり接しないので。クリエイティブ界隈での平均値より、KiNGさんの言語化能力はものすごく高いんじゃないかな、と思うんですけど。
KiNG:クリエイティブは言語化しなきゃいけないタイプの人と、それができないから作品で表現するタイプの人と2パターンいらっしゃいますね。
蛯原:非言語の可視というものですね。
KiNG:例えばここに彫金の作品を飾ってますけど、これは物質=マターじゃないですか。でもダークマターっていう目に見えない物質、それとの対話によってこの作品ができあがっているって私には思える。このマターのおかげで、余白と周りのエネルギーを感じられるっていうふうに。これからは、作者がそこまで言語化できていないことを言語化するのまで含めてアートかなと最近思っています。
蛯原:それ。それそれ!
KiNG:それを社会と繋げる。この作品って、私にとってはVUCAであるとか非線形であるって思えるんですよね。
蛯原:『テクノロジー思考』を酷評する人たちには「テクノロジーを1ミリも説明してない」ってすごい怒られるんですけど、そういうことじゃないんです。人間や社会と、テクノロジーとの接点を言語化しているんです、それと同じですよね。
KiNG:まさに一緒。酷評する人は線形な話を聞きたかったんだろうけど、そんなのはいくらでも自分で調べてくださいって感じなんです。非線形の中の物語を表に出してるわけで。
蛯原:多分リベラルアーツって、昔からそういうものじゃないですか。専門性と実社会との繋ぎをする役割としての学問で。専門性がいろんな分野で深まって複雑多岐に渡ったときに、それを束ねて解釈してみんなにメッセージをする役割がリベラルアーツ。だから経営者やリーダーにはリベラルアーツが必要なんだと思う。
KiNG:リベラルアーツって古代ギリシャ系では、「自由のための自由の諸技術」ってのが根本らしくて。自由人は何かっていうと、非奴隷ってことですが、それをいまに定義し直すならば「自己をコントロールできること」「自分の取り扱いが分かってること」だと思うんですね。自分の脳とか心とか体とか甲状腺機能とかに振り回されずに、自分の高い目標とか目的を持ってコントロールしていけてるかどうか。
蛯原:KiNGさんの生い立ちの話で思ったんですが、僕はよく「強制」の話をするんですよね。強制されたから逆に自由になる、自由精神を奪われたので内的にそれが醸成されたみたいなことです。
KiNG:それはあると思います。案外家も厳しかったので。ものすごい強制されたら、その中で楽しむしかないじゃないですか。
角:今のKiNGさんの「自由とは?」ってことで、なるほどなと思ったんですよ。10年ぐらい前に家を建てたとき、家の雑誌とかを読みまくるわけです。『モダンリビング』とか『新しい住まいの設計』とか。それを読んでいく中で、自分が本当に好きなものに気づくんですよね。
そのときに「大抵の人は自分の本当に好きなものがなんなのかに気付くこともなく生きているんじゃないか」と思って。なので僕は、何についても本当に好きなものは何かということを突き詰めて考えたいし、それが面白いと思い始めたんですよ。だから村上さんに「お前の思考スタイルは?」ってさっき聞かれた質問の答えが、実はこれかもしれないなと思いました。
KiNG:素晴らしい。
角:多分今日ここに来られてる方は、みんなそういうことをやるのが楽しくて自分の人生をコントロールしている方が多いんじゃないかなと思うんですけど。じゃあここから本番みたいな感じで(笑)。雑談長い!
「具体と抽象の振り子」をメタに語る
角:ここからは、蛯原さんとKiNGさんと打ち合わせたネタに入っていきます。『テクノロジー思考』の言葉をベースに考えたんですけど、まずは「具体と抽象の振り子」。テクノロジー思考の中で「具体と抽象を行ったり来たりする」というワードが出てきますよね。
蛯原:ふたつの議論がありまして。ひとつはまさにテクノロジーそのものというのは具体と抽象によって成り立っているということです。具体というのは基本的には物理であり、ものであり、それには重量があったり重さがあったり匂いがあったりするわけで、そこに解釈の余地は基本的にはない。だからそこに「目的」という抽象概念がないとテクノロジーとは言えないんです。
もうひとつの議論は、テクノロジーをどう社会や人間に適応するかとか、あるいはテクノロジーの発展の将来図を見渡す場合に、具体と抽象というフレームワークが有効活用できますということ。具体的にデータだったりサンプルを見るというだけでなく、ある仮説を持ってそこに通底しているコンテクストを発見していく。それを言語化したり製品にしたりする作業が具体と抽象なので、私はそれを重視しています。
角:この具体と抽象、要は「メタ認知」みたいなことを意識的にやることが、実はテクノロジー思考のファクターかなって思っていて。KiNGさんも実は同じようなことをやったりしてるんじゃないですか?
KiNG:アートは、アートの定義自体が意外とまだまだ曖昧というか。アートという概念なのか、アートマーケットなのかで全然また変わってきて。
角:そもそもアートってなんですかね? 僕なりのアートを言うと、心にさざ波が立てられるようなものを意図的にされることにアートを感じるというか。
KiNG:ってなると、アートは「自由」だと思います。本来のアートは受け手のものだと思います。世界は脳みその数だけあるので、アートという受容体がある人にとってそれはアートなわけです。アートという受容体がない人にとっては、これがアートですと言ってもアートではないと思います。
角:たとえばコンセプチュアルアートで、便器に「泉」っていう名前をつけたマルセル・デュシャン。あれを見ると、なんとなく僕、心に波が立った感じがしたんですよ。一瞬にしてそれがアートとして感じられるようになった。
KiNG:それは受容体と素養があるから、アートとして感じられる。例えば今ビル・ゲイツがアフリカにトイレを作るプロジェクトをやってますよね。ということは、最近あれがトイレだと認識した人たち何十億人にとっては、トイレだという前提がないので「泉」でも何でもないんですよ。
蛯原:めっちゃハイテクに見えるんじゃないですか、彼らにとって。iPhoneぐらい。
村上:あそこに入ると臭いがなくなるって、超テクノロジーですよね。
KiNG:だから、文化意識が高くないとデュシャンの泉を泉と認識できないってことですよね。
村上:それこそ具体と抽象なんだと思う。あるコンテクストの中においてどういう視点を提供するか、その視点をもって何を思うか。デュシャンの例でいうと、やっぱりあの時代のコンテクストがあるわけです。もともとパトロンがいて描かせていたオーダーメイドの文化の中に、レディメイドっていう概念を持ってきて、要はそれもアートである、と。オーダーメイドだとやっぱりスケールしないし、それでいいのかっていうアンチテーゼとしてレディメイドが生まれ、それがアートとしての価値を持つものなんだっていう新たな視点とマーケットの提示をしたと思うんですよね。
KiNG:そこにはバウハウスとか、大量生産、生産しやすいものがかっこいいってことにだんだんなったという背景がある。デザインでも建築でも、ちょうど今年ぐらいがひとつの節目じゃないかって思う。バウハウスはちょうど100年経ちますが、延命させるのか価値を変えるのかっていう節目。
角:アートがわりと、今風に言うと民主化・大衆化したのがこの100年の歴史だったとすると、それだけだと面白くないかもしれない、みたいな話ですか。
KiNG:あとは単純に西洋人が作った価値の市場のままでいいのか、もっと自由にやっていいんじゃないかってところですよね。オリンピックで金メダルとるのがやっぱり一番なの?みたいな。
角:ひとつの価値軸に沿うべきなのかどうかですね。
村上:西洋ってマジョリティは一神教です。ゴッドがいて、価値はゴッドが決めるわけ。なので、ひとつの軸に沿って社会を動かすことに慣れている文化だと思うんですよ。でも東洋は、どちらかというと八百万なので神がたくさんいるし、角さんのご実家の方だとロッカーに毎年神様が来るぐらいの近さで。
角:出雲ですね。出雲以外は「神無月」ですけど、出雲だけ「神在月」になって神様が帰省される。
村上:神様のホテルがあるんです。ロッカーみたいな小さいのがあって、神在月の前に開けるんですよね。出雲大社の近くの神社。
角:十九社ですね。帰省される時に順番とか、帰られる時には1回ここの神社で休んでもう1回帰るとか、そういう決まりがあったりして、調べて行くと面白い。
村上:要は複数のフレームワークが混在している中で、みんなうまくやっていこうみたいなのが、どちらかというと東洋思想。
角:ヒンズー教もそうですもんね。
村上:アジアは結構そういう文化なんだと思うんですよね。例えば昔の民芸ムーブメントで普段使っているものの「用の美」を見出しましょうとか、小鹿田(おんた)の器を見て美しいとかは、西洋から来た人が価値を見い出したわけですよね。バーナード・リーチとかがそれを西洋に持っていったらすごい価値を持って、その価値に逆に日本が気づくみたいな。そういう西洋と東洋の振り子みたいなのもあるんじゃないかな、と。
角:面白いですね。たしかに仏教でも、阿修羅とか最初は土着の別な宗教の神様だったのが取り入れられて神様に昇格していくプロセスがあります。なので仏様がいっぱいいるけど、あれは大体インドのほかの土着の神様が化身として取り入れられている。でもキリスト教だと違うんですよね。悪魔になっちゃう、バール神とか。
村上:落ちちゃう。
KiNG:堕天使とかそういうのになっちゃいますよね。
村上:バフォメットもマホメットからきてるみたいな話があったりとか。ああいうのを見ていると、受容力がすごい強いのが東洋だったりするのかなって感じがする。この話、みんながついてきてるのかすごい心配になる(笑)。
KiNG:きっと大丈夫です(笑)。