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P&G、Facebookを経た下村祐貴子さんがアジャイルなものづくりをするMOON-Xに入社した理由

フィラメントCEO角勝がCNET Japanで連載している「事業開発の達人たち」シリーズにおいて、P&G、Facebookを経て、アルコール飲料や化粧品をITのモノづくりを参考にアジャイルな方法で共創するMOON-Xの下村祐貴子さんにお話をうかがいました。MOON-Xでは、小ロットで製品を生産し、消費者のフィードバックをどんどん反映させる製品開発スタイルが特徴です。今回はCNET Japanの記事には収まりきらなかった下村さんのP&GやFacebook時代の仕事内容や、その後MOON-Xに入社した背景について角勝がお聞きしました。(文/QUMZINE編集部、永井公成)

IT系部署から広報へ"社内転職"

角:まずは自己紹介をお願いします。

下村:下村祐貴子と申します。今41歳で子どもが2人います。
29歳まで神戸から出たことがなかったですね。

角:神戸の人って神戸が好きで、神戸から出ない傾向ありますよね。

下村:出ないんですよ。うちの親も下宿も含め神戸外に出ることを許してくれませんでした。
大学も神戸で、数学専攻でした。そして卒業後も当時神戸の六甲アイランドに本社があったのP&Gに入社したという経歴です。

角:数学専攻だったんですか!?

下村:数学とか化学とか物理とかが好きで、そういう考え方のIT系もすごく好きでしたし、それこそ卒論もC言語とか書いていたような感じだったので、そのままキャリアを得意なものの延長線上で選んでP&Gの生産統括本部になりました。最初の3年はP&Gに物流システムを導入するというプロジェクトをやっていたんです。

角:ビックプロジェクトでしょ?それ。

下村:すごかったです。そういうプロジェクトはみんなで同じ目標に向かっていくという感じなのですごく楽しいんですけど、やっぱりP&Gはブランドの会社だったりするので、もう少しそこに関わりたいと思ったんですよね。

キャリアの最初を選んだ時点では、自分の得意なことと、自分が好きでパッションが持てることとの違いが明確ではなくて、生産統括の部署に入ったんです。多分それはそれで経験としては良かったんですけど、キャリアとしては好きなことではなかったので、そのままいくと頭打ちになっていたんだろうなという気がしています。
その3年後に社内転職のような形でP&Gの広報に移りました。

角:それはだいぶハードルの高い話じゃないんですか?

下村:だいぶ、高かったです。社内転職とはいえ、まったく違うスキルなので。広報の勉強も並行して行い、25歳で広報に移りました。
そこからはずっと広報畑です。P&Gの広報には「最前線に立つ広報」と「戦略的な広報」の2つがあって、そのどちらも経験できたのは良かったと思っています。

最初は神戸で、東京や大阪のメディアの方と一緒に広報の仕事をしていて、そのあとシンガポール転勤の話が来ました。アジアの広報でその時「戦略広報」としてシンガポールに行けるのは1人だけだったのですが、推薦してくださった方がいて行けることになったんです。

でも私はその時28歳くらいで結婚した直後でした。29歳までには子供が欲しかったので、どうするかすごく迷ったんですが、結局行きました。行ったら行ったでとても苦労しましたね。子どもを育てるのは初めて、異国で住むのも初めて、シンガポールも初めてだったので。

角:仕事も初めての内容ですもんね。戦略広報って、具体的に普通の広報とどう違うんですか?

下村:どちらかというとブランディングに近いんです。例えばパンテーンという製品があるとして、そのパンテーンという製品の推すポイントを、ダメージケアでいくのか、サステナビリティの方向に目指すのか…みたいなことをアジアとかグローバルで決めるんですね。それを私はシンガポールでやっていたんです。

角:製品の価値というよりは哲学をつくるような仕事に見えます。

下村:そうですそうです。一般的な広報よりももっと上流工程ですね。
なので、日本のことをよく知って、日本の消費者やメディアをよく知って日々外部とのコミュニケーションすることも大事ですし、あとは例えばインドの髪の毛の洗髪習慣を知って、インドにもいいメッセージを出すことも考えないといけないという感じです。例えばインドでは髪を洗うのは週2回、というようなこととか。

角:なるほど。それは国によって全然違いますもんね。

下村:5年間ぐらい戦略広報の仕事をシンガポールでして、2人目の子どももシンガポールで産みました。組織も日本人はだいたい私1人だけでしたね。

角:旦那さんもご一緒に行かれているんですか?

下村:夫もその時にP&Gだったんですよ。私の転勤が決まったと同時に、彼もちょっと時間差で行って、帰りは旦那のポジションが見つかったので私も一緒に帰ってきたという感じだったんです。

角:なるほど。それは会社として単身赴任的な感じにならないように配慮されたってことなんですかね。

下村:そうです。すごく配慮してくれたと思います。

角:そうは言ってもシンガポールでの生活は大変ですよね。

下村:そうですね。「あ、今日は日本語を話さなかった」みたいな日が週3日ぐらいあるんですよ。子供の病気が重なると本当に大変でした。医療も、英語だとよく分からないじゃないですか。そこでやっぱり「私が働いているからじゃないかな」とか責めたりして。そういう心の葛藤みたいなのはすごくありました。

角:暮らしやすさのところも全然違うでしょうしね。

下村:全然違いましたね。慣れてしまえばいいんですけど、慣れるまでは大変でした。

角:その一方で、シンガポールでお過ごしになられたからこそ、得られるものもあったんじゃないですか?

下村:すごくありましたね。まず多様性の素晴らしさを学びました。本当にいろいろな国の方たちとお仕事ができたので、真の意味での多様性を感じました。どんな意見の方にもリスペクトするという姿勢が本当に根付いているので、学べたことは大きいです。あとは、「戦略的思考」とか「フレームワーク」もP&Gで学べました。

角:シンガポールから帰国されたあとはそのままP&Gですか?

下村:はい。P&Gもその当時で14年ほど働いていたんですね。なので、そろそろ次いってもいいかなと思っていました。

社会的な課題を解決するためにFacebookへ

下村:シンガポールから帰ってきて、ニュースでDVが多いとか、いじめ問題とか、そういうのがすごく目についたんです。これはなんとかできたらいいなということを思い始めた時に、Facebookからお声がけいただいて、Facebookに移ることにしたんです。

角:なるほど。Facebook Japanって人数的にもそんなに多くないですよね?

下村:そう。私が入った時は、40〜50人ぐらいでした。今はもっと多いと思います。

角:でも全然少ないですよね。

下村:事業規模から考えるとめちゃくちゃ少なかったです。

角:でも日本でもFacebookはだいぶ広がったじゃないですか。ユーザーは何千万人といると思うんですけど、それをその人数でさばくって相当大変なんでしょうね、きっと。

下村:そうですね。すごいと思います。Facebookの職責は結構広いかなと思います。

角:実際移られてどうです?お仕事されたら。

下村:Facebookはまたすごく自由でいい会社なんです。「Focus on Impact」という考え方があって、社会的なインパクトさえ出していれば、本当に自分の好きなプロジェクトを立ち上げてもいいし、どんなことでもして良いんです。プロダクトはたくさんあるんですけど、その中でも「人と人とを繋げる」というところが、ビジョンとしてとても共鳴できるものがあったという感じでした。

ただ、P&Gのプロジェクトって2年くらいのスパンなのですが、IT企業だと本当にローンチ&スクラップみたいな感じなので、最初はその早さに戸惑いました。P&Gで本当に製品をつくるとなると最初の時点で120%、130%の完璧さを目指さないといけないのですが、ITは70~80%ぐらいで世に出して、それからどんどんアップデートをかけていくというやり方なんですね。それが今のスタートアップでやっていることにも繋がっていると思います。

角:なるほど。アジャイルな進め方ですね。

下村:そうそう!

角:それはカルチャーとしてもだいぶ違うんでしょうね。

下村:違いましたね。

角:下村さんがFacebook時代に関わられたお仕事の中で、印象的なものを教えてください。

下村:地方創生のプロジェクトはイチからやったのですごく思い入れがありますね。Facebookはグローバルのプラットフォームで、みんなとやりとりができて便利という認識はあったんですけど、日本のことをちゃんと考えているかとか、日本の課題に向き合っているかというところが薄いと思っていたんです。それを地方と連携することによって、地方ごとのニーズに向き合い、それをプログラムに反映することによってもっと良くなっていくんじゃないかと思い、地方の創生プロジェクトを神戸市からやり始めたんです。神戸市は交流人口の減少という課題がありました。その次に実施した秋田は日本で一番高齢者が多い地方なので超高齢化が課題となり、シニアプログラムを実施しました。最後は大阪でしたが、東大阪は中小企業・ビジネス・ものづくりの町なので、FacebookやInstagramの使い方をもっとちゃんと教えて欲しいという需要がありました。カスタマイズをして色々なところにテクノロジーで貢献できるのはとても楽しかったですし、そこでのコネクションが今活きています。

角:GAFAのような巨大プラットフォームだと国や地方ごとで自由に動ける裁量権って少ないと思うんですが、下村さんはなんでそんなに自由に動けたんですか?

下村:製品そのもののプラットフォームをいじるとかは通常できないんですよ。でも、今あるプラットフォームとかこれからくる機能を使って、それが社会的な国々の課題に合うのであれば、なんでもウェルカムなんです。

特に日本はグローバルでも超高齢化社会であると認識されていましたし、Instagramも伸びていました。当時はコロナ禍となる前だったのでインバウンド需要が高く、これは観光立国としての社会的課題にも合致します。オリンピックもくるということで、グローバルもサポートしてくれて、ちょっと毛色が違ったものでもOKと言ってくれました。「こういうふうにしたいんだ。絶対日本でこれはワークするんだ」というと、そういうのを認めてくれる本当にいい会社でした。

角:プロダクト自体はいじれなくても、そのプロダクトで何ができるかを考えて、日本の社会に貢献できそうな施策を展開するのは自由、という感じなんですね。

下村:はい。そういう感じです。

角:なるほど。でもそれで地方との連携のところにいくのは、思いっきり新しい発想に振っていますよね。

下村:その時は振りましたね。でも、それが会社にとっても事業にとってもWin-Winなんだろうなと思ったんです。
当時のFacebook Japanの代表で、今のMOON-Xの代表でもある長谷川と長崎や福岡に行って、色々な市長さんや市役所の方、事業者の方とお話したのですが、みなさんがおっしゃるのは、「FacebookやInstagramを活用できていないが、ポテンシャルはあると思う。もっとわかりやすくレクチャーしてくれたらもっと使うのに」ということです。そこでちゃんと草の根でやっていかないとな、と思いました。あとはFacebookはITプラットフォームなので、私たちがやったセミナーもライブ配信できるし、まずはやってみようと思って始めた感じです。

角:なるほど。そのおかげで、おそらく各地方地方で商店街の経営者の方とか中小企業の経営者の方もだいぶ恩恵を受けられたかと思います。そしてこのプロジェクトの後、次のキャリアに移られていますね。

下村:そうですね。
最後の大阪府との提携によって地方創生としてきちんとまとまったのはすごく大きかったです。
これが型になって違う人でもできるようになったなと思ったのと、私がちょうど40歳になる時だったんです。次男もちょうど小学校に入って、もう少し何かを学びたいとすごく思って、「Facebook」という肩書がなかった時にどのぐらいできるのかということをもう1回試してみようと思ったのがFacebookの卒業の時の思いでした。

角:やっぱりご自身の成長がモチベーションになって次のステップに?

下村:モチベーションになりますね。自身の成長と、「どれだけほかの人に貢献できるのか」を常に考えています。そこの掛け算でいつもキャリアを選んでいる気はします。

角:なるほど。Facebookでも執行役員という重要なポジションを担われていて、そこをまたさらに辞めてとなると、成長とか利他心といった内発的動機がないとなかなか次のステップにいけないんだろうなというのは僕もなんとなく分かります。

アジャイルにものづくりをしてブランドを育てたい

角:次のキャリアのお話もお聞かせください。

下村:これも地方創生の延長線上にあると思っています。元Facebookの長谷川が立ち上げたMOON-Xという会社に創業メンバーから入らないかと誘われたんです。その時にずっと話していたのは、日本のものづくりをテクノロジーで昇華させるということです。

P&Gのように一度にものすごい数を作るのではなく、もっと小さいロットで作って、お客様のフィードバックを受けてどんどん製品をアップグレードしていくことでブランドを育てていけたら面白いという話を代表がしていました。

私はシンガポールにいたので、日本のものづくりがほかの国よりも質の高いことや、いい事業者さんが日本中にあることも分かっていたので、それをもっと活性化するために小さいロットでつくってどんどんブランドを育てていくということを自分たちでできたらいいなと思って参画を決めたというのがMOON-Xに入った背景です。

MOON-Xウェブサイトより

角:なるほど。下村さんのキャリアの延長線として、とても腹落ちします。

下村:そうですね。

角:Facebookの中でやられていた地方の話と、アジャイルで進めるカルチャー。それらをもともとP&Gでやられていた"ものをつくる"という部分に対して活かしていかれるところにMOON-Xがあると思いました。


下村さんが現在MOON-Xでどのような事業を行なっているかについては、CNET Japanに掲載されている記事をご覧ください。

【プロフィール】

下村 祐貴子(Yukiko Shimomura)
MOON-X株式会社
執行役員 CCO


神戸大学発達科学部卒。2002年にP&Gに入社。広報・渉外部でヘアケアブランド「パンテーン」などを担当、日本市場におけるPRに 従事。2010年にシンガポールに転勤、ヘアケア部門のアジア地域 広報、SKIIのグローバル広報としてPR戦略をリードし、4ブランドでシェアNo.1に貢献。帰国後、2016年よりFacebook Japan広報統括執行役員としてコーポレート・ブランド・マネタイゼーション全広報を統括。2020年3月からMOON-Xの執行役員広報統括。2020年 7月に戦略PRを専門とするMiracle Japan創業。


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