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すべてのはじまりは「お客様との接点」から ~ヤッホーブルーイング・井手社長と木村石鹸・木村社長に聞く、ファンを巻き込む共創型のブランド作りの秘訣~(1/3)

こんにちはフィラメントの宮内です(原稿を書いているのは超優秀な弟子の本田恵理さんですが)。

この対談、 実は木村社長がぜひ井手社長と話したいとFacebookで書いていたのがきっかけでした。QUMZINEはそういう面白いネタにすぐ食いついちゃうメディアでして(笑)。どちらもファンベースのマーケティングで熱烈なファンを集めている素晴らしい会社。2人が話したらきっと面白い対談になるに違いないと確信して、前のめりで実現させました。

日本のクラフトビールの草分け的存在であり、数々の「ファンベース」施策を成功させ続けているヤッホーブルーイングの代表・井手直行さんと、大正13年創業の老舗企業 木村石鹸の4代目社長に就任後、OEM中心の商品展開から一転自社ブランドを次々と展開する木村祥一郎さん。「熱烈なファン作り」のプロであるお二人に、そのHow Toをお伺いします。(取材・文/QUMZINE編集部、本田 恵理)

「ブランド作り」の原点

角:「ファンを巻き込む共創型のブランド」とは、どう作って、どう育てていくべきなのでしょうか。まずは、お二人それぞれのスタート時のエピソードや、これまでの経験を通じて、意識する・習慣にするに至ったことを知りたいです。

井手:僕らのビールは、最初は地ビールブームに乗って、店頭販売でもおみやげとして売れていたんです。けれど、それが売れなくなって、どうあがいても何をやってもうまくいかなくて、最後に残った手段として行き着いた先が、2004年から始めたインターネット通販だったんです。

それまではスーパーや酒屋さんがお客様だったから、その先にいる消費者の方々のことは、存在は知りつつも直接交流を持つことはなかったんですよね。でもインターネット通販を始めた際に、軽井沢圏外の個人のお客様からメールをいただいたんです。「最近近場ではどこにも売っていないので、どこで売っているか探していたんです」「現地で購入するしかないのかと思っていましたが、こうした形での販売を開始していただいて、ありがとうございます」といった感じで。その時に、「ああ、これがお客様を相手に商売するということなんだ」と強く思いましたね。

角:いい話ですね。

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井手:またある時は、僕のことを「嫌いです」と仰るお客様がいて。でも、製品のことは好きだと仰っていて、そういった方とも辛抱強くやり取りを続けているうちに、いつのまにか大ファンになってくださったりとか。
「ファンを作ろう」という意識よりも、ビールを売ろうとしても売れないので、「どうしたらいいんだろう?」と頭を悩ませた結果なんです。メルマガで、ビール以外の話題でも、お客様が喜んでくれるような話題をするようにしていたら、結果的にビールも売れるようになった。「えっ、これが、商売!?」と思いました。それが一番最初のキッカケですね。

木村:当時、他にライバルはいたんですか?

井手:ビールの通販という業界では、ほとんどいなかったですね。
ワインで言えば、こだわりを持っていたり説明が丁寧だったりするカリスマ的な有名店はたくさんありましたが、それ以外のお酒では全然見なかったですね。

角:ワインは単価が高そうだけれど、ビールは単価が安いから、そもそも通販で買うものという認識がみなさんなかったのかもしれないですね。

井手:当時、インターネットでの安売り文化もなくて。ディスカウントストアが盛り上がっていた時代でしたね。なので、ビールなどの大量に消費するものは近所のディスカウントストアで買う、という時代でした。

角:どこで買っても一緒、という認識だったんでしょうね。その時代に新規でビール通販というビジネスを始めるのは、勇気があります。

井手:「いいところに目をつけましたね」とよく言われるんですが、何をしても売れなかった末に残ったのがその手段だった、というだけなんです。僕自身、ネットで何かを買ったこともなければ、パソコンを触ったこともない、リアル世界での熱血営業マンだったので。何もわからないので、六本木ヒルズに当時あった、楽天大学の授業に、毎週軽井沢から通っていました。「メルマガの書き方」「ホームページの作り方」「クレーム対応の仕方」などを習っていましたね。

木村:完全にお一人で始められたんですか?

井手:正確に言うと、97年に楽天市場がオープンした際の営業に乗って、開店自体はしていたんです。でも当時は地ビールブームだったので、「別にネットで売る必要ないよね」と。それで、開店休業状態だったインターネット通販を、2004年になって1人で再開した形ですね。

当時弊社の営業が3人しかいなくって、全員で頑張っても、毎年売上が2割近く下がっていく状況だったんです。それで、もうインターネットしか残ってなくて、それでダメならいよいよ倒産だな、みたいな状況だった。そこで初めてお客様と向き合うことになりまして。その上で、楽天大学で学んだことを1つ1つ忠実に聞いていったら、うまくいったという。
インターネットと楽天がなかったら、今のポジションはないですね。

角:木村さんは、今は木村石鹸を継いでいらっしゃいますが、もともとはIT系で、学生時代に起業されてたんですよね?

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木村:はい、95年起業です。Windows95が出てきた年で、同時に阪神・淡路大震災の年だったんです。その時に、ライフラインや電話が繋がらなくても、インターネットは繋がった、というのが記事になったんですよね。また同時期にちょうど、スタンフォードの学生が作った「Yahoo!」が出てきて、アメリカで凄い人気があるという情報を見て。それで「これは日本でも作れるんじゃないか? 簡単そうだし」と思って検索エンジンを作り始めたら、結構人気が出て。それで起業に至りました。
創業事業の検索エンジンは、、Yahoo!やGoogleなど、海外勢が日本に進出してき、、資本力や技術力で太刀打ち出来なくなったので、撤退しました。その後は、ウェブの構築やネットマーケティングの支援をやっていましたね。

角:木村さんが木村石鹸に戻られてから、会社としても新しいことをされていますよね。その辺りのシフトチェンジのお話も伺いたいです。

木村:僕が会社に戻ったのは2013年のことだったんですが、その頃は、直接お客様に販売をするということをやっていなかったんですよね。基本的には裏方で、いわゆるOEMのお仕事でした。開発と製造の依頼を受けて、お客様に納品して、納品先が自社の名前で売る、というような仕組みですね。僕らにとって一番大きなお客様が生協さんで、商品を買うのは組合員のお客様。だから、直接消費者の方々と向き合って会話するということはなかったんです。売上も、OEM先のほぼ2社で、70%くらいが占められていました。

角:かなり堅実な商売ですね。

木村:それが、2006〜2007年あたりからデフレ、リーマンショックと続き出して、商品の最終価格が下がっていったんですね。
僕らは、製造を請け負ってて、しかも2社に売上の大部分を依存しているわけです。その2社から、「バージョンアップとして、中身は増量で、価格は据え置きにしたい」とかって頼まれると断れないわけです。一方で、殆どの原料は値上がりしていってたんですね。なので、利益を食いつぶしながら対応していくという状況が10年ぐらい6-7年続いたわけです。

2013年、このままいくと赤字突入という状況の時に、僕が戻ることになりました。僕自身はインターネットをやっていたので、せっかく自分たちで商品作りの最終工程までやっているのに、自社名で売り出していない状況を目の当たりにして、「自分たちで最後まで作れるんだったら、自分たちの名前で売ればいいんじゃない?」という提案をしたんです。それで、2015年から自社ブランド展開という新しい販路を作ることになりました。売上としては、まだ全体の20%くらいなんですけどね。

角:立ち上げの時に、元ユニリーバの方でしたか、キラキラな経歴の女性の方(※)が入社して商品開発されたみたいなことが、記事とかにもなりましたよね。

(※)峰松加奈さんのこと。

木村:彼女に注目が集まったことで、地方の町工場が自分たちの商品を作って売り始めた、っていう試みを結構取り上げていただけたんです。それは、自社ブランドを立ち上げたタイミングとしては、とても良かったですね。

メルマガ起点のプライベートリレーションによるファン作り

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角:お二人とも、元々は消費者と接点がなかったところからのスタートなんですね。そのあと消費者の方々と直でつながりを作られるようになっていったところが、お二人の共通点ですが、ファンの方が求めていることについて意識されるようになったポイントはどこですか?

井手:ネットのような直のやり取りだと、お客様からダイレクトにすぐ反応があるので、「自分たちでは”いい”と思ったけど、お客様目線での評価としては”ダメ”なんだ」といったようなことがわかるんです。
当時、弊社の製品は「よなよなエール」のみだったので、新製品や他のアイテムがない以上、そこに掛ける以外何もないから、他にすることもなかったんですよね。安売りもしなかったですし。それで、「ショッピング・イズ・エンターテインメント!」という楽天のキャッチコピーを真に受けて、おかしな企画をいろいろやり始めたんです。
そうしたら、お中元の特設ページとかでは全然売れなかったんですけど、「よなよなエールを面白いところに連れて行ってくださって、記念撮影の写真をお送りくださったら、弊社のホームページに掲載します!」とか、「よなよなエールの旅立ち」といってよなよなエールにキャラクター性を持たせた寸劇などの企画をやり始めたら、すごく面白がってもらえたんですよね。

角:おかしな企画の方が売れちゃったんですね(笑)。

井手:「夏はビール!」みたいな打ち出し方をすればするほど、貴重なメルマガ読者さんの解除率が上がっていく。けれどその一方で、変な企画をやると、メルマガが解除されなくなって、読者から、「面白かったです」「お腹抱えて笑いました」「よなよなエールも旅に出るんですね!(笑)」「久々によなよなエール飲みたくなって、注文しました。」…といった反応が届いて。「なんだこれは!?」と思いましたね。

そういったご連絡や、注文時のコメント欄でいただけたメッセージなどの反応を見て、「これはいい企画だったんだ、これはウケなかったんだ」といったことがわかるようになってきたんです。

角:なるほど、それは反応が体感できますね。

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井手:メルマガも、最初のころは否定的な意見多かったんですよ。当時楽天でトップを取っていた有名な女性店長の方は、すごくプライベートを発信される方だったんです。その発信の内容が面白くて、人となりがわかって、親近感を持つとともにその方のファンになってしまうような。だから、彼女の商品も売れるんです。「これだ!」と思って僕自身もプライベートを発信し始めたんですが、たくさん否定的な意見が来て。「あなたのプライベートな話なんか聞きたくない」とか。でも、そういう方にはお一人お一人にメールをしていました。
「ご不快な思いをさせてしまって申し訳ありません。でも、どうしてこれを書いたかというと、こういう経緯があって…」って。「普通に宣伝してもメルマガ解除ばかりで売れないので、どうにかして売れるようにと試行錯誤している最中なんです!」みたいな(笑)、裏事情まで赤裸々にお話ししていました。

そうして1件1件返してるうちに、また反応が来るんですよね。「あなたも頑張ってるんですね、単なる目立ちたがり屋なわけじゃないんですね。あなたのことは依然として嫌いですが、努力してることは認めます」みたいな。もう、「ありがとうございます〜!」という感じです。

角:完全にプライベートリレーションだったんですね。

2/3につづく


【プロフィール】

【株式会社ヤッホーブルーイング】井手 直行

井手 直行(いで なおゆき)
株式会社ヤッホーブルーイング  代表取締役社長


1967年(昭和42年)生まれ
ニックネームは『てんちょ』。国立久留米高専を卒業後、電気機器メーカー、広告代理店などを経て、1997年ヤッホーブルーイング創業時に営業担当として入社。地ビールブーム終焉の後、再起をかけ2004年楽天市場店の店長としてネット通販事業を軸にV字回復を実現。2008年より現職。フラッグシップ製品『よなよなエール』を筆頭に、個性的なブランディング、ファンとの交流にも力を入れ、現在まで15期連続増収増益、クラフトビール国内400社の中でシェアトップ。『ビールに味を!人生に幸せを!』をミッションに、新たなビール文化の創出を目指している。著書に『ぷしゅ よなよなエールがお世話になります』(東洋経済新報社)

■ヤッホーブルーイング公式Twitter
https://twitter.com/yohobrewing

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木村祥一郎 (きむら しょういちろう)
木村石鹸工業(株) 代表取締役社長

1972年生まれ。1995年大学時代の仲間数名とIT企業を立ち上げ。以来18年間、商品開発やマーケティングなどを担当。2013年6月、家業である木村石鹸工業株式会社へ戻り、2016年9月、4代目社長に就任。

自律型組織を目指し、稟議書の廃止や「自己申告型給与制度」の導入、社員自らが組織づくりを行う「じぶんプロジェクト」等、様々な施策を通じて組織改革を行っている。
事業では、OEM中心の事業モデルからの自社ブランド事業への転換を進め、石鹸を現代的にデザインしたハウスケアブランドを展開。2020年より三重県伊賀市での新工場「IGA STUDIO PROJECT」の稼働も開始。

■木村石鹸公式Twitter
https://twitter.com/kimurasoap


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