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「プロレスから“やられてもすぐに立ち上がる勇気”を学んだ」 周囲の想いを背負って突き進むROBO-UNI泉幸典さんにお話を伺いました

26歳で子供の頃からの夢であるプロレスラーになり、引退後ユニフォームメーカーの執行役員を経て、ロボットアパレルブランド「ROBO-UNI」を展開するRocket Road株式会社を起業した泉幸典さん。プロレスラー時代には1勝もできず引退、起業後も会社をたたもうかと考えるような大問題が連発しますが、それでも諦めないのは、周囲で本気で支えてくれる人たちの存在でした。今回は、波乱万丈な泉さんの半生を振り返るとともに、「挑戦」「失敗」そして「夢」について語っていただきました。(文/QUMZINE編集部、永井公成)

脱サラしてプロレスラーに

ーー脱サラしてプロレスラーになられたそうですね。まずはそのきっかけからお話しいただけますか。

泉:新卒で京都の空間ディスプレイの会社に就職しました。26歳まで4年間ぐらい頑張ったんですが、小学校のときからの夢だった「プロレスラーになりたい」という思いが諦められなくて、社会人になってからも毎年入門テストを受け続けました。26歳でようやく入門テストに受かったので、脱サラをしてプロレスラーになりました。

ーー26歳って業界的には遅いですか?

泉:かなり遅いですね。当時は大体が高卒です。大卒だと、インターハイで優勝しているとか、アマチュアレスリングとか、柔道の全日本とかで優勝か準優勝ぐらいしていないとなかなか使ってもらえない時代でした。身長も185センチ以上とか規定も厳しかった時代です。

僕も、高校3年生とか大学4年生のときは同じようにテストを受けていたんですけど、当時はプロレス団体も猪木さんと馬場さん含め数社しかなかったので、日本中のプロになりたい人がそこへ行ってたんです。そして僕が社会人になってからプロレス業界が分裂し始めました。都心の民放でテレビ放送されるようなメジャー団体から、ローカルでテレビ放送はされていないけどプロの団体として派生していくような団体が乱立し始めたんですね。

ーーみちのくプロレスとか。

泉:はい。みちプロは落ちたんですよ。ずっと大学のときからリング設営などお手伝いをして観に行って選手と仲良くしてもらっていたんですけど、うちは大卒から身体をつくるのは難しいと言われて。そのあとそこのスポット選手が福岡で旗揚げした団体がマスクマンばかりの団体で。身長もそんなに変わらなかったこともあり、なんとか入門ができプロになりました。

ーーその年齢でチャレンジすることに対して、ご家族や周りの人から「無謀ではないか」など言われませんでしたか。

泉:10歳のときからずっと目指しているんですが、誰も信じていないんですよ。「まだ言うてるわ」ぐらいの感じで。実際にプロになったときは、みんなびっくりしてましたけどね。

ーーそこから何年ぐらいプロレスラーをやられていたんですか?

泉:3年程ですね。なので29歳までプロでやっていました。

プロレスでは”負け”の美学を学んだ

泉:プロレスラーって才能じゃないんですよ。野球やサッカーとは違ってプロレスにはアマチュアスポーツがないから。基本的にはみんなスタートは一緒なんです。そうなると、お客さんにお金をもらって“魅せる”ということが必要となってきます。強いだけだったら格闘家でいっぱいいますから。

ーーやられるときも”魅せながら”やられることが必要なんですね。

泉:そう。だからプロになったときに僕が一番勉強になったのがプロとしての自覚です。デビューして何試合かしたときにうちの師匠(アステカ選手)に呼ばれて「おい幸典、プロレスラーって何のために仕事をしているか知ってるか?」と言われたんです。そこで「いっぱい練習して自分が強くなって、来ているお客さんに喜んでもらうことです」って言ったら「それは違う」って言われたんです。

「お前は客のことを全然考えてない」って言われて。「だからファンがつかないし、上にはいけない」って言われたんですよ。そこからプロとしての意識が変わったんです。

「他のスポーツは別として、プロレスのお客さんが何を観にきているかっていったら、お前みたいに弱くて負けるほうを観てる」って言われたんです。プロレスって非日常的であって、ある程度勝負の世界でありながらエンターテインメント要素が多いってことは観ている方も分かっている。にもかかわらずなぜお客さんがあんなに熱狂的になるかといったら、その人たちにもそれぞれのリアルな生活があって。家族や恋人と喧嘩したり会社で嫌なことがあったりとか学校で勉強や部活で勝てなかったりとか。毎日いろいろな現実と戦っている人たちが、チケットを買ってからプロレスの試合を楽しみに日々過ごしているわけですよ。そして会場に来たときに、彼らはプロレスから勇気をもらいにくるらしいんですよ。映画と一緒です。ジャッキーチェンの映画って観終わったあと強くなった気になるじゃないですか。

ーーなんとなく俺も明日から強くなりたい、みたいな。

泉:そうそう、プロレスは”そういうこと”らしいんですよ。なおかつ試合前から、また今日も弱い泉が負けるんだろうなってみんな思ってるんです。泉は体小さいし歳もいっているから絶対勝てない。にもかかわらず試合中はやっぱり「泉、頑張れ!泉、立て!」ってお客さんが言うんですよ。僕も、選手ながら同情がはいっているとは思っていたんですよ。でもそうじゃない、「あれは本当にそう思ってるんだよ」って師匠に言われて。「みんな現実社会ではお前側なんだ」って言われたんですよ。あの強い鍛えあげられたやつらは、みんな選ばれたエリートにしか見えないと。だから観に来るお客さんは、あのエリートがそのまま勝つようじゃ実社会と同じだと感じてしまうんです。

ーーそれはたしかに面白くないですよね。

泉:強い外国人選手とかに勝てそうにもない弱者の泉が思いっきり立ち向かっていく気迫や、やられてもやられてもまた立ち上がり相手の攻撃をすべて受けて倒れては、またもがきながら立ち上がるその姿。それこそが、お客さんそれぞれの現実社会そのものであり、そこに自分たちを自己投影して感情移入することで「そうだ俺たちもまた頑張るぞ!」と思ってもらったり。自分たちの代わりにリングで泉が諦めずに頑張ってくれるとそこでいろんなことが解消されるらしいんですよ。「だから幸典が”負ける”っていうのは理にかなっている。お前はずっと勝てない一流選手を目指せ」と師匠に言われたんです。

プロになったときから僕、勝ち星1回もないんですよ。僕なりにイメージしていたのはタイガーマスクというスーパースターなので、全然違うんですよ(笑)。

ーーかなりギャップがありますね(笑)。

泉:いつも試合が終わったら小学生に呼び捨てで「おい、泉!」って言われて。「泉!次頑張れよ!」とか。「泉、あの技あそこで出したらよかったのに」って小学生にアドバイスされて。

ーーだったらお前が一回やってみろ!ってやつですよね。

泉:でも「ありがとうね」って言って(笑)。それでもまた次の試合に出たら子どもたちは僕を応援するわけですよ。僕は他の選手より一般社会の人たちに近い存在なんです。

地方で試合が終わったら、涙流してるおばちゃんとかいるんですよ。でも負けて悲しくて泣いてるんじゃないんですよ。自分たちをそこに投影しているんでしょうね。倒されてもまた立ち上がろうとする。どうせカウント3で負けるのに僕は2.5とか2.8とかで返してはまた立ち続けるんですよ。周りからしたら「もう分かった。もう立たなくていい、泉」ってなるんですよ。でもそれでも僕は立ち上がるじゃないですか。ということはもう1回大技をやられにいくみたいなもんなんですね。それがだんだん観ているお客さんは分かってくるんですよ。「ダメージを考えると泉はこのまま立たずにカウント3で終わったほうがいいんだけど、泉がまた立ち上がると俺たちは嬉しい、でもお前が立ち上がったらまたやられてしまうじゃないか」っていう。

ーーなるほど。そのスパイラルにはいると、ものすごく熱狂的になるんですね。

泉:相手の攻撃はどんな技でも全て”受け切る”。避けるほうが簡単だし楽。
”来る”って分かってる攻撃を自ら受け切るほど勇気がいることはない。それがプロ。
僕は、やられる美学、受けの美学をプロレスで学びました。

ーーしかしファンが熱狂的になってくれるということは、結構人気だったんですか?

泉:試合が終わったあとのサイン会とかは、一番弱いのに結構行列ができたんですよ。サイン色紙は1枚1000円するんですが、みんなが「泉はデビュー遅いし多分お金もないだろうから」っ思って並んでくれたんです。あとは家族や友人が全員並んでくれました(笑)
今でも感謝しかありませんね。

ーー当時から愛されキャラだったんですね。

泉:プロなのにヘタレ選手だったんで(笑)。

応援してくれる周りの思いを背負っているから諦めない

泉:職業プロレスを引退して、その後ユニフォームメーカーの執行役員を経験したあとでRocket Roadを立ち上げたんですが、何度も会社をたたもうかと考えるような問題が発生したことがあって。苦しんでいる時に応援してくれている何人かに話したら、僕以上にその理不尽な問題や不義理なことに対して腹を立ててくれたりしたんですね。「こんなことでRocket Roadは潰せない。絶対俺らが潰させない!大丈夫。」って言ってくれるんですよ。僕はひとりじゃないんだと思えて、それが涙が出るぐらい嬉しかったんです。

「どれだけ俺らが応援していると思っているんだ!」「Rocket Roadはノリ(泉)さんの会社だけど、その夢には俺たちの夢も乗っているんだ!」と。「俺たちの夢をこんなことでは潰せない、だから全力で応援するし支えるから。」って言われたんですよね。そのときに目が覚めたというか。ほんとだと。こんなことで会社をたたむという考え自体間違っているなと。

思っている以上にめちゃくちゃ大きな山の上に担いで行ってもらっていると気づいたんですよ。Rocket Road・ROBO-UNIが目指す夢を、僕の勝手な決断で諦めるわけにはいかないって。

ーーなるほど。お聞きしていると、プロレスも、Rocket Road・ROBO-UNIを立ち上げた後も、本当に泉さんがやりたいことをまっすぐにやる姿を見て、周りの人は思わず応援したくなってしまうのでしょうね。そして何かをきっかけにして、泉さんのビジョンは決して泉さんひとりのものではなく、周りの人の思いを背負ってるということに気づいた。だからこそ諦めないのだなと感じました。

泉:そう思いますね。僕は支えてもらってる人たちから刺激をもらい日々多くのことを学ばせてもらってます。

「挑戦」の概念がないから「失敗」もない

ーー泉さんはこれまでに様々な挑戦を経験されてきたと思うんですが、泉さんにとっての「挑戦」や「成功」、「失敗」についての考え方をお聞かせ願えますか。

泉:「挑戦しよう!」と思ったことはあまりないんですよね。これをやりたい、もしくは「これが実現できると三方良しになる」というようなことがあると、「じゃあこれ実現したい!」ってなるじゃないですか。それを実現をしようと思ったら”もうしたくてしょうがない”だけなので、それを実現できると勘違いして本気でやっているだけなんですよ。行動に移すことに対して誰かに「挑戦」というシールが貼られるだけかと思います。

ーー挑戦はあくまでも「手段」なんですね。

泉:そうそう。ひとりの時に「これやりたいんで挑戦します!」ってわざわざ言わないですよね。開発に失敗しても「上手くいかなかったっていうことは、こことここがやっぱりダメなのかな、どうしたらいいんかなぁ…」となるだけで。「実現すること」を頂上に置いているから、そのためにどうしたらいいかだけしか考えていないんです。夢中になっているんでしょうね。

ーー「挑戦」の概念がないから、「失敗」もないということですね。

泉:そうですね。失敗がないんですよ。

例えば「ネジが1個足りなかった」というのが原因だったとしても、でもそのネジが原因じゃなくて、それを知っていたけど言わなかった人がいたとか、知らなかったとか気づけなかったとか、ネジがなかったとか、自分の中でそれらのどのポイントで失敗だったのかいろいろな状況があるはずで。それによって誰の失敗なのか、何が失敗なのかもまた違うじゃないですか。

ーー起こったときにその原因を分解していって、それを例えば知らなかったのか、ネジがなかったのかというところを、潰していく感じですか。

泉:そうそう。未来を生みだすアイデアを考えるときは現在を軸として過去を深掘りしますね。

ーーそういう検証の仕方を自然にされているんですね。
一方で、泉さんみたいにずっとパッションを持ち続けられる人もいれば、長く続ければ続けるほどモチベーションが下がってくる人もいると思います。どうやって自らを鼓舞しているんですか?

泉:なんでモチベーション下がるんですかね?僕は、下がったらやらなくていいと思います。本当はそこまでしてやりたいと思っていないし、どこかのタイミングで別のことと比べてその選択肢をとっているように思います。

ーー比べているとは?

泉:クビになる・給料が下がるとか、「そこまでしてやったところで認めてもらえる可能性は少ない」とか別の何かと比べはじめてますよね。そのバランスが、だんだん変わって不安やイヤのほうが大きくなるボーダーラインがあるんです。でもそれは人によって異なる時間軸なので、もちろん応援はしますけど、本質的には他人が介入して上げさせるものじゃないとは思っています。

あとは極論でいうと、その人にとってはその程度のものなんだから、その素直な自分の気持ちに従って収束すればいいんじゃないのかと思いますし。そこにこだわるんじゃなくて次の面白いことを見つける前向きな方に思考をもっていけば良いかと思います。人生、不幸なことは勝手にやってきますけど幸せなことは自分次第でたくさん生み出せますからね。

ーーだからきっと泉さんはつまらないとか思いながらはやっていないんですよね、全然。

泉:そうそう。本当にそうですね。僕がプロレスラーを目指してた時は、毎日スクワット2000回、腕立て1000回、腹筋1000回とかやってました。周りからしたら「それぐらいプロって努力しないとなれないんですね」と思うでしょ。でも好きでやっているだけなんです。プロレスラーになりたい!と思ってやっているだけだから、嫌とかそんなんじゃない。次元が違うんです。

それらができるようになったら「俺、本当プロになれるわ」って思えてくる。それだけです。自分の中で目的と手段が常にハッキリしてますね。

ベンチャーで命を取られることはない

ーーそんな泉さんにとって目的や夢と天秤にかかるものってあるんですか?

泉:今は「家族」ですね。多分普通は「命」って言うと思うんですけど、僕は命と背中合わせのプロレスっていう仕事をしてしまっているので、それも昔はなかったんです。

プロレスで命の怖さと命の大切さを思い知らされたんですよ。僕の場合、命を削ってギャランティーをもらう仕事をしてましたから。

起業する前の会社では執行役員までいって、そのままお金の心配なくてある程度いい生活できたのに、それを捨ててしまったので今はお金のことで困ることばかりですが後悔してません。

それで、起業する時「奥さんからよく何も言われませんでしたね」と言われるんですが、うちの妻は、プロレスラーデビュー前から一緒なんです。プロレスラーのときはお金もなかったけど、下手したら生きて帰ってこないかもしれない。そんな毎日だったと思います。でもベンチャーで毎日命を取られることはない。そう考えると、妻からしたらプロレス時代の苦労を考えたら大したことではないらしいんですよ。今もやりたいように生きさせてもらって親や妻、子供たちには感謝しかありません。

今思うとすごくつらい思いをさせたなと思うので、今は「命を引き換えにでもベンチャーをやりたいです」とは思わないですね。プロレス時代にはなかったことです。死んでもいいからやりたいと思っていたから。だから今は自分だけじゃない命の大切さが分かってしまったので、その人たちのためにも、命ある限り人類の進歩の通過点になれるよう邁進して生き抜かないといけないなって思いますね。

ーーいい話ですね。ありがとうございました。


【プロフィール】

泉 幸典(いずみ・ゆきのり)
Rocket Road株式会社 Founder&CEO

京都花園大学の仏教学科にて禅宗を学ぶ。卒業後、デパートのショーウィンドウを手がける空間ディスプレイの会社で空間デザインのディレクションなどを経験。脱サラして子供の頃から憧れだったプロレスラーに転身後、ホテルユニフォームメーカーで新ブランドの企画立ち上げ、執行役員を経験。米国シリコンバレー渡米を繰り返しロボットアパレルのアイデアを想起。RocketRoad株式会社を設立、Founder&CEOに就任。会社名は大好きな漫画「宇宙兄弟」より、『ロケットロードは寄り道をしない、後戻りもしない、ただ一直線に進む道』から命名。

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