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起業家2人に聞く!組織を動かすルールの変え方とは?

組織で働いていると、旧来のルールが足かせになり、思うような成果が上がらないということもあるかと思います。周囲の理解を得ながら古いルールをなくし、新しい試みを成功させるためには、どのようなことが必要なのでしょうか?今回のテーマは「ルールの変え方・守り方」。大きな組織に新しい風を吹かせ、後に起業を果たした2人の女性に、フィラメント代表の角勝がお話を伺います。(文:油井康子)
本記事は、2019年8月に㈱フィラメントのコーポレートメディアで公開された記事の再掲です。


従来の方法から発想を変えて劇的に効率アップ

角:本日は、株式会社morichi代表取締役の森本さん、株式会社Pallet代表の羽山さんにお越しいただきました。お2人には「ルールの変え方・守り方」というテーマで話していただきたいと思います。組織やプロジェクトの一員として働いていると、本来なら変えるべきルールが古いまま残っていることがあったりしますよね。そういったものを、どのように変えてこられたか、どんなことを心がけて行動したかを伺っていけたらと思います。

森本・羽山:よろしくお願いします!

角:森本さんはリクルート人材センター(現リクルートキャリア)、羽山さんはインテリジェンスやブレインパッドでご活躍後、起業されたという経験をそれぞれお持ちですが、組織内のルールを大きく変えた経験はありますか?

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(森本千賀子さん)

森本:その経験の連続ですね。私が所属していたのは人材転職エージェントなのですが、新入社員の1年目、お客様との契約時にイニシャルコスト(前金)をいただいてから紹介をするという形から、成功報酬モデルへとビジネスモデルが切り替わるタイミングだったんです。新しい制度に対応する仕組みやツールが何もない時期だったので、それまでのやり方をどんどん変えていくべきだという問題意識は組織全体が持っていました。会議でも積極的に発言することを求められましたね。

角:リクルートの社風も関係しているのかもしれないですね。どこか変えるところがないか、探し続けるというような。

森本:それが日常でした。私は新規開拓の営業担当だったのですが、仕事のやり方をガラリと変えたことがあるんです。当時の王道のやり方は、まず顧客になりそうな企業をリストアップして片っ端から電話をし、アポイントが取れたら訪問して関係を築いていくというものでした。

角:数打って、足で稼ぐスタイルですね。

森本:まさに「ひらめ筋」の世界です。当時は携帯電話がなかったので、テレホンカードを山のように購入して、訪問時間の合間に公衆電話から何百件も電話しまくるんです。夏は電話ボックスの中で汗だくになりますし、怪しい職業の人だと思われて、職質を何度も受けましたね。

角:すごい!そういう世界、本当にあったんですね!(笑)

森本:あったんですよ(笑)。ずっとそんな調子で仕事を続けていたのですが、ふと「1件の受注を獲得するまでにどれだけの作業をしているんだろう」と気がついて。自分は新規開拓営業が得意なほうだと思っていましたが、100件のリストがあったとして、訪問に行けるのが10件。さらにそこから受注に至るのは1~2件程度だったりします。受注できなかった99件の会社に電話をかけることが全て無駄になるとは思いませんでしたが、もっと自分を必要としてくれる人のために、この時間を使えないものだろうかと。

角:数を打っても、受注までにどんどん減っていくわけですもんね。それで、どうされたんですか。

森本:ある時、メガバンクに勤めている友人から「担当している顧客に人事部長を任せられる人材を探している会社がある」と連絡が入り、紹介してもらって訪問したんです。すると、社長に会うなり「あなたが森本さんですね。優秀だって聞いてますよ。」と自分の自己紹介や信頼を得るための時間をかけずとも、いきなり商談に入れたんですね。目指すべきはこれだと確信しました。

角:紹介なら信頼関係がすでにできていて、無駄打ちが少ない。最高じゃないですか!

森本:そうなんです、最高なんです!そのことがあってから、私は最終顧客ではなく、「パートナー」となっていただける企業を開拓することにしたんですよ。金融機関では銀行や証券会社・VC、ほかにもコンサルティング会社やオーナー相手に仕事されている保険会社や不動産会社まで。経営者の困りごとをお聞きする役割の会社とパートナーになって、人材を探しているところを紹介してもらいました。

角:それって、トップ営業にもなっていますよね。

森本:おっしゃるとおりです。68社ほど提携先を見つけて、そこから私は一切新規開拓のための営業電話をしていないですね。このことが、自分にとっての転機になったと思っています。

角:素晴らしいですね!ちなみに、それは森本さんがおいくつの時だったんですか。

森本:たしか28歳くらいだったと思います。

角:うわあ、お若い!

森本:逆にそのくらいの年齢だったから、怖いもの知らずでできたのかもしれないです。自分が担当するお客様への気持ちは誰にも負けないと思って行動していましたね。

角:情熱を持って仕事に取り組む森本さんを見て、「紹介してあげたい」という気持ちになるのもわかりますね。

森本:お陰様で、たくさんご紹介いただきました。

羽山:今のお話は「千賀子メソッド」と呼んでもいいくらいのノウハウが詰まってますね!

リスクの少ないルール転換で会社に貢献

森本:そうこうしているうちに仕事の量がものすごく増えてしまって、コップの水が溢れるように限界を超えてしまったんですよ。ちょっとショックを受けましたね。他の社員の3、4倍頑張れても、私が1ヶ月で作れるご縁には限りがあります。ここからさらに数を増やしていくには、今のやり方をさらに変えていかなくては無理だと思いました。

角:人より3、4倍働いているのに、さらに上を目指したんですね。

森本:そうなんです。私のmissionは「より輝ける舞台を一緒に見つけること」。それも一件でも多くのご縁を紡ぎたかった。ところが、約1か月で作れるご縁を私の60歳までのビジネス人生の一生分で計算してみたら、「えーーー、この程度なのか」って思ってしまったんです。これを更に10倍とかにするには、パラダイムシフトするしかないなって思って本気で考え抜きました。まずは1ヶ月分の業務を全て書き出して、私にしかできない仕事と、他の人に任せられる仕事、私がやりたい仕事の3つに切り分けて分析したんです。そうすると、私ではなくてもできる仕事が、アシスタントを1人いれてもいいくらいの分量になりまして。上司に相談したら「オレ一人では決められない」とのことだったので、役員会議で提案させていただきました。

羽山:すごいですね!

森本:これは私だけの問題ではなく、全社的に仕組みを変えなければこの先10倍、20倍の価値を創出し、業績を伸ばし続けるのは難しいと思ったのです。だからこそ、まずは私から新しいことをさせていただいて、成功すれば組織全体に広げてもらおうと考えたんです。

羽山:会社の仕組みがガラッと変わりますよね。

森本:そうなんです。アシスタントをつけてもらってから、私の実績が3〜4倍くらいになって。このやり方は全社に広がりました。今はさらに仕組みが発展して、業務が細分化していますね。

角:パラダイムシフトというか、本当にダイナミックに会社全体が変わったんですね。いやあ、すごいなあ!仕組み自体は変わることになるけど、まわりの環境を大きく変えずに、リスクを抱えなくて済む方法なのも素晴らしいですね。

森本:従来どおりのやり方の延長ですと、いずれ組織としても限界がきていたと思うんです。会社を成長させるためには、イノベーティブに物事を変えていくことも時には必要ではないでしょうか。

会社の理解を得て退社後も良きビジネスパートナーに

角:それでは、そろそろ羽山さんにもお話いただきましょうか。羽山さんは、独立前はブレインパッドで人事部長をされていたんですよね。

羽山:そうなんです。(森本)千賀子さんと同じく、私もかなり仕事を抱えていました。ですが、夫が仙台に転勤することになりまして。当初は別居婚でもかまわないと思っていたのですが、夫に内内示があったのは辞令がでる8ヶ月前。「私にも準備期間があるな」と気づいたんです。

角:ずいぶん前から転勤を知らされていたのですね。

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(羽山暁子さん)

羽山:大きなプロジェクトが動いて、早い段階から打診があったようです。ちょうどその頃、男性が作った組織の中で女性がサラリーマンとして働き続けることの限界を感じていた時期でもあったんです。今は世の中の風潮もずいぶん変わりつつありますが、結婚したり、将来子供を産むという選択をする際に、会社のルールに縛られて働き続けるのはなかなか難しいように思えて。もっと女性が自由に働くという事例があるといいと思ってたので、このタイミングで独立することにしました。自分がロールモデルのようなものになれたら面白いなとも考えたんです。

角:たくさん仕事を抱える中で、大きな決断ですね!

羽山:独立したことがないので、どんな風にすればいいか、果たしてきちんと稼げるのか、不安はありましたね。そこで考えたのは、今いる会社から継続して仕事をもらい続ければ、しばらくは安泰でいられるのではないかと。まずは自分のやりたいことや、できることを棚卸ししてみました。もちろん社内での引き継ぎはするのですが、自分が手がけるほうがクオリティが高く、会社としてもメリットになる仕事を作り上げることにしたんです。退社後は業務委託契約に切り替え、しばらくは東京と仙台を往復する生活でした。新幹線代やホテル代は、会社のほうで全て負担いただきましたね。

森本:移動にかかる経費も出してもらえたんですね!すごい!

羽山:独立した私に仕事を任せることで、会社の利益が上がるということをご理解いただけた結果だと思っています。

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角:会社からは、「やめないで欲しい」と言われたんじゃないですか。人事といえば、会社の中枢となる情報が集積されている部署ですよね。そんな場所で、若くして人事部長という責任のある立場にいらっしゃった。仕方ないことではありますが、会社としては惜しいという気持ちがあったのではないでしょうか。

羽山:最初は引きとめていただいたのですが、家庭の事情もありますし、私の意志が固いということで納得いただきましたね。もちろん、交渉を重ねることで、お互いにしこりが残らないような努力はしました。辞めると決めた以上は、自分にできることはそれしかありませんでしたので。

森本:半年以上の準備期間を設けて引き継ぎをし、暁子さんがやってきたことも業務委託という形で継続されていくわけですよね。このやり方は、会社にとってもベターな選択だったのではないでしょうか。人事部長が退社という状況が変わらない中で、ソフトランディングができていますよね。

角:なるほど。たしかにそうですね。

羽山:自分がやりたいことを実現したい時、従来のやり方で叶いそうにない場合は、新しい手段を作り出せばいいと私は考えています。自分の一方的なわがままを通すのではなく、相手の利益にもなる状況を作り出して、Win-Winの関係性になることで自分の理想を掴み取ることが可能だと思うんです。

角:円満退社して、独立後も業務委託や外部ブレーンの形で関係を継続されるという、一つの前例を作られたということですよね。

羽山:これまで、雇用する立場の会社と雇用される立場の社員は、ある種の徒弟制度のような関係性で、社員の立場が弱い傾向にありました。でも、実はそうではないんです。自分がどう生きたいか、どう働きたいかという意思表示をして、会社と交渉するのは不可能なことではありません。終身雇用が崩れていく中で、兼業や副業を含めた働き方は多様化していきます。私のようなケースは、今後も増えていくのではないでしょうか。

森本:会社にとっても、「こんな発注の仕方があるんだ」と気づけた事例かもしれないですね。ブランディングにも繋がっていると思います。それにしても、いい会社ですね!

羽山:そう、すごくいい会社なんですよ!未だに会長や社員の皆さんとも飲みに行きます(笑)

角:経営層の方も、今回の羽山さんのような形に働き方をシフトしていく必要性を感じておられたかもしれないですね。それに、周りの人がすごく応援したくなるやり方だったのだと思います。それにしても、お2人ともいいエピソードを持っておられましたねぇ。

協力:関西大学梅田キャンパス KANDAI Me RISE / スタートアップカフェ大阪

(後編はこちら)



【プロフィール

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森本千賀子(もりもと・ちかこ)
株式会社morichi 代表取締役
93年リクルート人材センター(現リクルートキャリア)に入社。 累計売上実績は歴代トップ。2017年3月に株式会社morichを設立し、同年10月にリクルートを退社。 パラレルキャリアを意識した多様な働き方を自ら体現している。 著書に『カリスマヘッドハンターが教えるのぼりつめる男課長どまりの男』など多数。

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羽山暁子(はやま・あきこ)
株式会社Pallet 代表取締役
(株)インテリジェンスにて法人営業、人事担当後、 (株)ブレインパッドに転籍。 新卒・中途採用、研修、社内文化醸成、 メンタルヘルス等幅広い人事経験を持つ。 これまで担当した採用面接数は延べ4000人を超える。

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