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アジャイルな都市開発! 南海電鉄・和田真治さんに学ぶ「巻き込み力」

2017年11月に開催された、働き方の祭典「TOKYO WORK DESIGN WEEK」。その大阪サテライト会場で開催された「組織を変える、プロセスのつくりかた」(11/17開催)で角と一緒にディスカッションを繰り広げたのが、「ラピート」で有名な南海電鉄の営業推進室 なんば・まち創造部長である和田真治さん。その内容があまりに面白かったので、これはぜひ記事にしたいラブコールを送り、対談が実現! ライターは川合和史さんです。前編では、人を巻き込むコツを中心にお聞きしました。

【プロフィール】

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和田真治(わだ・しんじ)
1963年兵庫県姫路生まれ。1987年大阪市立大学商学部を卒業後、南海電気鉄道株式会社入社。経理部、グループ事業室、経営企画部などの企画関係部門を経て、現在は、2016年に新設された「なんば・まち創造部」に在籍。道頓堀川の遊歩道(リバーウォーク)を大阪市から指定管理を受けているほか、2017年に80周年を迎えた御堂筋の在り様についても地域の方とともに、検討中。また2016年、南海なんば駅前ひろば化の社会実験を担当。現在恒久化に向け、行政とともに協議中。大阪ミナミのエリアマネジメント団体「ミナミまち育てネットワーク」の運営にも携わる。南海ホークスのファンだった。2018年3月まで大阪市交通局民営化 特別参与。

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角勝(すみ・まさる)
大学で歴史を学んだ後、大阪市に入職。在職中にイノベーション創出を支援する施設「大阪イノベーションハブ」の設立・運営に携わったのちに2015年3月大阪市を退職。各地でオープンイノベーションの支援、ハッカソンの企画運営を行っている。


「なんばひろば改造計画」に至るまで

角:和田さん、本日はどうぞよろしくお願いします。まずはこれまでの経歴からお聞かせください。

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(和田さんにヤフーでの名刺をさっそくお渡しする角)

和田:昭和62年に南海電鉄に入社しまして、最初の14年間は経理部におりました。

その後、管理職になる時にグループ事業室という、グループ会社を統括する部門になりまして、グループ会社の整理・統合といった仕事をしていました。

大きなところでは、シンガポールに本社があるホテル会社に行って交渉し、サウスタワーホテルをスイスホテルにチェンジするようなことも。

この案件については、今思えば考えられないような働き方をしていましたね。4か月ほどは休みなしでしたし、家に帰るのはほとんど夜中でしたし、夜中の便でシンガポールに飛んで、何日か交渉し、早朝便で戻ってきてそのまま出社したり。

グループ会社を整理する時は、親会社の判断次第で決定されるんですが、当該会社のプロパーの方やその家族が大変な目に遭うことを目の当たりにしたので、、そうなる前に対処できるように、グループ会社の経営管理の仕組みをどう作っていくかというところにも力を入れて。それが7〜8年間。

その間、経営企画を兼任したりもしながら、平成20年くらいに今の部門の前身とも言える「難波街づくり推進室」というのが社内にできまして。そこに配属されたところから、街づくりに関わり始めました。

経理、グループ管理、経営企画とかやってたところから急に「街づくり」となって若干、左遷感もありましたけど。(笑)

また、社内で同世代とオフサイトミーティングとかもやっていました。

自分たちは何のために生きているのか、何のために働くのか、といった青臭い議論を真面目にやったりして。

そんな中で、ファシリテーションとか、リーダーシップ、コミュニケーションというものを学んでいったんですが、そういうのって、街づくりに必要なものと同じだなと。

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個人商店のおっちゃんが「俺がこの街をこんな風にしていきたい」と思っていたとして、南海という企業体とのギャップはもちろんあるんですけど、街を良くしたいという部分が一緒であれば、そこを理解し合いながら、自分たちはどういう役割を果たせば街が良くなるのかということを考えたり。例えば、南海という看板を掲げることで、やや張り合ったような商店同士を仲裁できるんじゃないかとか。緩やかに連携をしていただけるポジションがあるのではないかというような、そういったことをしていたのが十数年前。2年間やりました。その難波街づくり推進室が経営企画部に吸収される形で発展的に解消されて、今度はM&Aの担当になりました。泉北高速鉄道の買収とかも関わりました

角:泉北高速鉄道の買収! めっちゃ大変じゃないですか!

和田:本格的に話が動く前の、前段の部分だけでしたけどね。大阪市交通局の民営化に関しての特別参与というのもやりました。

角:それは、ありがとうございました(笑)
※編集部注:角は元・大阪市職員。

和田:そこでは、南海の社員という視点ではなく、大阪市全体にとって中心部の交通局の民営化というのは大阪・関西経済の活性化にも繋がるので、是非進めていきましょうみたいな話をしたり。行政と民間が組んで、一緒に街を作っていくという話をしたことは、今に繋がっている部分もありますね。

そういった仕事を経て、一昨年に「なんば・まち創造部」という新しい部署ができまして、街づくりに戻ってきました。最初のまちづくり推進室の時、鉄道会社のような長期的な視点で経営できる会社だからこそまちづくりが重要だと思ってましたし、そのころからお付き合いがあった地元の方々とはその後もずっと水面下で、個人的にもお付き合いを続けていたんですが、「また本気で街づくりやるんやな。」「おかえり」と言っていただけたのは嬉しかったですね。その間、大阪・光の饗宴エリアプログラム「まいどおおきに 大阪ミナミ 光マッセ」という団体作りに関わったり、途切れずに地元との絡みがあって今に至っているということで、「仕事って結局、自分で意味づけして繋げていくものなんだな」という感覚を実感することになりました。自分でやってきたことをプラスに繋げていくんですよね。

角:そしてそれが「なんばひろば改造計画」(後述)という社会実験企画をたった三ヶ月で実現させたところにも繋がっていくんですね。

・なんばひろば改造計画< http://www.namba-hiroba.jp/  >

和田:そうですね。街づくりに戻ってまず、「駅前広場で社会実験をやる」という話は聞かされたんですが、明確な指示はなにもなかったんですよ。当部は「旗振り」、「情報発信」、「渉外窓口」というあたりの役割を担うんだろうなと自分で考えて、部の方向性をまとめて会社に出して確認して。平行して、関わっているメンバーが以前から知ってる方々だったので、話を聞いて、補ったり膨らませたりしながら推し進めました。こうした社会実験の事業を実施する経験はなく、周りの経験者に聞くと「何ぼ何でも3か月では無理」と言われたのですが、これまでに繋がりのあった多くの企業の担当の方に、本当にたくさんの助けも得られて、恵まれていましたね。結果、本当にすごいにぎわいが作れ、大成功でした。三ヶ月でできたっていうのはすごく、満足感もあったし、「ちゃんとした一過性のお付き合いではなく、個人としてつながっていてよかった」「自分が今まで仕事してきた意味って、こういうことやったんか!」っていうくらいの感激もありました。

人と繋がっていく

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角:和田さんは、人を繋げるのも、自分が繋がっていくのも上手ですよね。だから相談もしやすいし、逆に相談を持ちかけていかれた場合も、相手はウェルカムってなる。

和田:困ってる人を助けることができたり、助けていただいた方にリターンできたり、あるいは結果として役に立てなかったとしてもまず動いたり、そういう助け合いをしていると、お互いまた次も頼みやすくなったりしますよね。上手く役に立てたら喜んでいただけるし、喜んでいただけたらみんなハッピーじゃないのっていう。世の中それが自然なんじゃないかって思っています。

角:そこ、下手な人って下手ですよね。繋がりとか信頼関係の構築とかする前に、すぐ最初に自分の損得を計算したり、儲けの話をしちゃったり。組織の一員として会社の儲けを前に立ててしまうと、動けなくなったり話しかけづらくなったりしますよね。そうならないようにされているのがすごいと思います。

ひとりの人として、人対人で付き合っていらっしゃって。難波街づくり推進室がなくなったところで関係を切ってしまっていたら、なんば改造計画に繋がらなかったと思うんです。人間関係の構築や維持で、特に気をつけられていることってありますか?

和田:常に完璧にできてるわけではないですけど、正面から向き合う、というのは意識しています。あと、組織は組織として、自分はこういう人間で、自分はこうしたい、というのは伝えるようにしているかな。自分はこうしたいんだけど、互いの組織をどうやって動かすか一緒に考えていただけませんか、って相談したりも。そこから「難しいかもしれへんけど、なんか一緒にやりたいね」って話になったりもしますね。自分をオープンにすること、かな。

角:なるほど。正直でいることって大事ですよね。それがあるから、信頼して色々話してみようかなっていう気持ちになりますし。

和田:お願いを受けたことやご相談を受けたこと、またあと助けていただいた時は、小さなことでもいいから、早めにリターンすること。

角:大事ですよね。

大阪発で世界のモデルケースになる「なんばひろば」

角:続いて、和田さんがこれから進めていきたいと思われている事業についてお聞かせください。

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和田:まずは、「なんばひろば」の完成ですね。多くの利害関係者が存在する既成市街地の都心部をリノベーションして広場にするっていうのは、少なくとも国内ではめったにないことだと思っています。

私が思っている以上に、国交省とか行政からも、地域の方からも、インパクトのある事業だという評価もいただいていまして。

また、民間が発意して考えて、行政を巻き込みながら仕組み作りをして、街を育てていくというところまでの絵が描けるという事例は、なかなかこれまでない。公民連携のひとつの形として、行政資産をどう活用していくかというのはすごく大きなテーマだと思っています。

入り口のところでは行政の力が必要かもしれませんが、そこからは民間でしかできない活用方法を考えて。またルール作りをする行政と連携しながら、行政は丸投げでもなく、口うるさく管理するのでもなく、一緒に関わって、一緒に育てていくという連携が出来れば社会も変わるのではないかと思います。

角:すーっごく難しくないですか?

和田:難しいです。企業としても、関わっていくに当たって「出資する以上はリターンがなければ出資できない。」と。もちろんその通りです。今日もその会議があったんですが、そこでどういう説明をするかというと「じゃあ出資しなかったらどうなるか、ということを考えてみてください」って話をするんです。地域に関係ない儲けばかり考える事業者が出てきて、まちがぐちゃぐちゃにされて、文句を言う権利もないままに終わっちゃう可能性がありますよねって。出資してとりあえず関わることで、自分たちの思うようにコントロールしながら展開を考えていくというのは、ひとつの手としてアリだと思いませんかと。

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もしかすると、この広場化ができることで、モデルケースとして世界から注目されて、この街への投資が回っていくかも知れませんし、訪れる人がそれまで100だったのが仮に500に増えるとしたら、売上や利益にまったく繋がらないということはおそらくないですし。事業計画も経験がないので、最初から止めておくというんじゃなくて、事業計画を描けるように一緒に頑張ってみて、結果、ダメだったら引くという判断をする。今はその最初のプロセスの部分で、是非やりたいし、ちゃんと事業計画もご提案できるようにしていきたいって言ってますね。

角:なるほど。広場を作ることで、その周辺の付加価値が高まりますよね。

和田:そうですね。ただ「なんばひろば」は残念ながら、大阪城のパークマネジメントの様に、その広場に新規に商業施設を建てて維持管理コストをねん出したり、事業性を高めるスペースがないので、そこはみなさん二の足を踏まれるところです。うちの場合、鉄道会社という公共性の高い企業としてパブリックマインドを前面に出し、他社の企業にできないことをすることで社としての存在意義を高めたいと考えております。

また、道頓堀の遊歩道の運営管理も担っておりますので、両方の運営に関わることができれば、よりこのエリアの回遊性を増やすことで、来街者の方に魅力的なエリアにすることができるのではないかと妄想(笑)しております。

「どこにお住まいですか?」「どちらにお勤めですか?」って聞かれた時、「中央区です」って答える人は少なくて、皆さんたいてい駅名で「難波です」っていう風に答えますよね。そこで「難波ですか、難波の駅前広場って素敵ですよね」って話題になると、「あそこは、南海さんが手がけているんですよ」って。

もちろん南海単独でやるわけじゃなくて、地域の皆さんと作るんですけども。鉄道会社が今まで、駅ナカ、駅ウエといった感じで商業施設を展開しているのを、「駅マエ」にまで関わっていくことで、地域のブランディング、イメージづくりになりますし、そうなるともっと注目されると思うんです。

社内で今「なんばいただき(頂)プロジェクト」っていうネーミングでやってる取り組みがあります。

ミナミの中で難波駅前広場を含め、ターミナルエリアがまちの頂点を極めないと、ミナミの価値ってここの高さで決まってしまうと思うんです。これを高めることで、周辺のすそ野が広がると思ってます。これまで高島屋さんからパークスまでのターミナルビルを作り込んできましたが、そこに駅前の広場まで入れてしまおうと。また周辺のエリアの本来の難波の良さでもある、いい意味での「猥雑さ」や「活気さ」があることで重層感も出てくる。この広場を、これまでのミナミにあった負のイメージと一線を画すような皆さんが憩えるようなぜいたくな上質な空間をつくることで、「こんなことやってまうの!?」ってくらいのことを感じていただければ、難波の都市格を上げられると思っています。プロジェクト名の「いただき」には、もちろん、経済的にいただくという意味もあるんですが。(笑)

角:いいんですか、そんなこと言っちゃって(笑)

和田:地域全体でいただくんですよ(笑)

そういう広場を、2018年度には大阪市さんが予算を確保してくれはったので設計して、2019年度に工事にかかり、2020年3月には完成させたいんです。遅くても2020年7月の東京オリンピックまでには完成したいですね。そこで来日された世界各地の人に「なにこれ!」っていうくらいのものを示すことが、地元の要望という話ではなくて、もっと大きな国家の観光戦略として必要なんじゃないのと思っていまして。

角:それ、いけるんですか? ものすごいスピード感じゃないですか。

和田:ですね。そこは、行政と民間による「今までにない先進的、次世代型のモデルケースとなる広場づくり」ということもテーマだったりするので。単なる広場づくりじゃなくて、今までやってないやり方でやる、っていう。大阪発で世界のモデルケースになる勢いでやりませんか、っていう話をしています。

角:デベロッパーのリフレームですね。動くお金も巻き込む人もでかくて、それをみんな調整してたら遅くなりました、みたいな話になりがちですけど、結局それって、遅くなればなるほど、お金の回るスピードが遅くなるから、みんな損してるんですよね。早くできれば、早くお金が入って、みんなも早く幸せを享受できる。ぼくらの子どもの世代にそれが財産となって既にあるのと、子どもが大きくなってから、ようやくできあがってくるのとでは、意味が違ってくる。

和田:仰るとおりです。しっかり作り込んでという考えもあるんですけど、フレキシビリティというのもキーワードにもあげてまして。時代と共にこの広場が変わっていって良い、変えていかないといけない、という感覚で。そこもデザインに組み込んでいこうと。2020年3月に完成させる前提で、将来もイメージしながらやる。絶対にオリンピックまでに完成するというスケジュールはずらしてはダメ。

角:これまで15年かかってたやつを5年でやりますって、そういうスパンでやっていくと、5年でできたら、その次の5年でまた変えられる、みたいな。いわばアジャイルな都市開発ですね。

和田:まったく、そういう話をしています。

角:今想像できる範囲で都市を開発していったって、結局、科学の進歩はそれをはるかに上回ってくるんで。例えば、自動運転カーも動いているであろう十年後を考えた時、今の設計で耐えられますかっていう。「結局、それまた変えなあかんやん」って。だったら、早めにやって、どんどん変えていくっていう体制ができたほうがいいですよね。

(後編に続く)



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